塩井純一
「心を持つAIは作れるのか?いや、そもそも人に心はあるのか?」
前野隆司著、PHP新書、2026年1月刊

野心的・挑戦的なタイトルに惹かれて、本書を手にしました。「はじめに」の導入にも引き込まれたのですが、第一章冒頭の「ベンジャミン・リベットによる世紀の実験」で躓きました。「手首を動かそう」と意図した瞬間よりも0.35秒も前に脳で運動準備電位が生じていたとする実験結果から、本人の意思決定よりも前に既に脳内変化が起きていたと結論しているのです。まず脳内変化がおこり、それに続いて意思決定の自覚が生じ、筋肉が動くと言う時間経過で、実のところ、決断は無意識下で既に下されており、その後に自覚される意思決定は本人の思い込みだと言うのです。ここで被験者の「動かそうとする瞬間(意識)」が、あらかじめ被験者に指示された「意図した瞬間に時計を見る」で測定出来ているのかに、大きな疑問を持ちました。「意図した瞬間」と「時計を見る」にも秒以下レベルではタイムラグ(時間的遅れ)があるはずで、この件に関しての考察が欠けています。続いて別の研究チームによる別種の意思決定についての実験ではなんと7秒も前から、すでに運動準備電位(無意識下の脳活動)が生じていたと報告しているのですが、上記リベット報告の秒以下レベルでの時間スケールとの大きな違いを問題視していません。更にリベット実験の紹介では数値の間違い(14ぺーじから15ページにかけての「手首を動かした瞬間の0.35秒前」は「0.55秒前」の間違い」)もあり、著者の科学者としての資質に疑問を持ちました。
しかしながら、「自由意志は存在しない」という仮説を前提としての思考展開・議論には興味深いものがありました。「中央司令塔的処理システム」に対する「自律分散的処理システム」、バラバラの情報を結びつけて一つの認識へと統合する仕組みをめぐる「バインディング問題」、「意識」より圧倒的な「無意識」の脳活動が「遺伝」と「学習」の影響を約50%ずつ受けている等々の解説は勉強になりました。他方、意識が持つ質感を指す「クオリア」についての説明、或いはそれを幻想とする主張には理解困難を感じました。著者は無意識下で意図が形成されるとする「受動意識仮説」を提唱しており、「自由意志」や「私という意識」を幻想と考えることで解放感を感じ、楽に生きるためのヒントを得たとし、「幸福学」へ進んでいます。「おわりに」では2500年前のブッダの教えにも言及、「無我の思想」が自由意志を否定する「受動意識仮説」に通じていると論じ、「自己はない(無我)」という考え方は、武道や茶道、華道、書道などにおいても広く見られ、この無我が、道を究めるための核心としています。仏教に関心のある私にとっては、目を覚まさせるような斬新さを感じましたが、更に深く考える必要も感じました。
限りなく人間に近い会話をするAI(人口知能)の出現により、「心を持つAIはつくれるのか?」の疑問は当然に出てきます。著者は更に踏み込んで「そもそも人に心はあるのか?」とまで疑問視し、上記の「受動意識仮説」をたてたのです。しかし分子生物学をバックグラウンドとする脳科学者の私にとっては、機械論的な議論を展開をする工学博士の著者の主張には合意できません。コンピューターの情報処理によりアウトプットを限りなく人間に近づけることが可能になっては来てますが、ブラックボックスの中身は全く別物です。脳内の神経細胞が作るネットワークは時々刻々変化する生物的構造体です。そのネットワーク素子の神経細胞の数は限られているにしても、細胞当たり数百から数万にのぼるシナプス(神経細胞間の接触点にみられる微細構造)を介しての神経細胞の結合は天文学的組み合わせになり、しかもそのシナプスが構造・機能とも流動的に変化するのです。そのようなダイナミックな構造の上に乗っかった情報の流れの中で、数年から数十年をかけて「心」が形作られてくると考えています。従って「心」の個別性は顕著であり、「心」とは「個性」であるとも言えます。新しく生まれてくるヒトは赤ん坊から子供、そして大人への過程で全く新しい個性、唯一無二の「心」を生み出してきます。対してコンピューターは物質的には変化しないIC(集積回路)でネットワークを作っています。ただ神経細胞のシナプスが化学的な結合様式なので情報伝達に時間がかかるのに対し、コンピューターのIC素子は電気的な結合だけの電子回路なので、情報処理時間は瞬時です。更にインターネットを介して、情報の貯蓄容量も拡大し続けています。その圧倒的パワーに乗っかってAIは既存の知識、即ち過去・現在のほとんどの知見、を取り込み統括出来るのです。記憶容量に関しては、またそれに基づく思考・演算の速さでは人間の脳はかないません。しかしながら、AIは既存の個性を集めたような人格(AI格?)になってしまわざるを得ず、基本的・原理的にまね事・物まねです。従って私の結論は「心を持つAIは作れません」、そして多分「心」は生物である人間にしかありません。「心」の科学的理解・解明はまだまだなのですが、原理的に人間の「心」はコンピューター、或いはAIでは実現できないと考えています。
「生きる意味 109」
長南瑞生著、1万年堂出版、2014年9月刊
「この本を開かれたあなたは、もうすぐ、仏教に明らかにされた、この人生の秘密を知り、人生を意味に満ちあふれたものに一変することができます」(2ページ)との書き出しに、大いに期待したのですが、肩すかしでした。因みにここで「人生の秘密」とは「生きる意味」への問いに対する答えを指します。又タイトル中の「109」は古今東西の文学者、哲学者、心理学者、科学者、芸術家、政治家、経営者などの偉人や天才たち、あるいは普通の人たちの、「109」のメッセージを簡潔に紹介していることから来ています。

「釈迦は、『人は何のために生きるのか』という人生最大の難問を、すでに約二千六百年前に解決されています」「その二千六百年前から仏教に秘められていた人生の核心問題と、その最終解答を、これから七つの章に分けて、ステップ・バイ・ステップで体系的に明らかにしていきます」(共に5ページ)という誘いに乗り「人生の核心問題」が「死」であり、「死の大問題を解決して初めて、大安心大満足の、絶対の幸福になれる」(232ページ、7章)ところまでは了解できたのですが、この「死の大問題」(仏教では「後生の一大事」と言うそうです)の具体的な解決法が判らず、「絶対の幸福」を得るには至りませんでした。7章の最後は「どんな人でも仏教を聞けば、後生の一大事を解決して、人間に生まれてよかったと絶対の幸福、無碍の一道へ出ることができますから、ぜひそこまで仏教をお聞きいただきたいと思います。」(248ページ)で締めくくられており、仏教への勧誘書だったのかと、がっかり感がありました。親鸞の教えを解説した歎異抄では「絶対の幸福」を「無碍の一道」と言っている(235ページ)との事で、これをもう一度読み返さねばならないかと思っています。仏教への入門書としては分かり易い本と言えるかもしれません。