脳と心をめぐる新しい科学[第3部・完結編]
認知症科学は「診断」から「予兆を捉える」時代へ

血液バイオマーカー・デジタルバイオマーカー・AIが変える認知症研究
病気は、いつ始まるのだろう。
医師が診断した日だろうか。
本人や家族が「何かおかしい」と気づいた日だろうか。
アルツハイマー病をはじめとする認知症の研究が進んだことで、私たちはいま、この問いを根本から考え直す時代を迎えている。
第1部では「心は脳のどこにあるのか」を考えた。
第2部では、表情や声、行動といった人間が発する小さなサインから、その人の状態変化をAIによって捉えようとする研究を見てきた。
そして完結編である今回は、さらにその先へ進んでみたい。
私たちは、認知症の「結果」ではなく、「変化の始まり」を捉えることができるのだろうか。
一滴の血液から脳を見る時代
2026年、認知症研究で特に注目されている領域の一つが「血液バイオマーカー」である。
アルツハイマー病では、アミロイドβやタウと呼ばれるタンパク質の異常が重要な病理として知られている。その状態を調べるため、PETや脳脊髄液などによる評価が利用されてきた。
ところが現在、血液から脳内の病理に関係する情報を捉える研究が急速に進んでいる。
中でも注目されるのが、リン酸化タウの一種であるp-tau217である。
2026年のレビューでは、非侵襲的なアルツハイマー病評価法の中でも、血漿p-tau、特にp-tau217について、アミロイドや進行したタウ病理を捉えるための有力なエビデンスがあると整理されている。一方でPETやMRIにも、それぞれ補完的な役割があるとされる。
日本でも研究は進んでいる。
J-ADNIの検体を用いた2026年の研究では、認知機能正常、MCI、軽度アルツハイマー病の計172人について血漿p-tau217などが調べられ、脳内アミロイドの検出や予後予測との関係が報告された。研究者らは同時に、実臨床で集めた検体による臨床的有用性の検証が今後必要だとしている。
つまり認知症科学は、症状が現れてから脳を調べるだけでなく、身体の中に現れる変化から脳の状態を捉える方向へ進み始めている。
もう一つのバイオマーカーは「日常」にある
しかし、人間が発している情報は血液の中だけにあるのではない。
第2部で見てきた表情もそうである。
話し方、言葉の選び方、歩行、睡眠、視線、認知機能、日常の行動。
こうした日々の生活の中から得られる情報を、デジタル技術によって継続的に捉え、健康状態の変化を知る手掛かりにしようという研究が進んでいる。
2026年10月に公表されたレビューでも、血液だけでなく神経画像、網膜、電気生理、デジタル・行動指標などを含む多様な評価法が検討されている。音声、睡眠、眼球運動などについても将来性が示される一方、さらなる標準化や外部検証が必要だとされている。
ここに非常に大きな意味がある。

血液検査が身体内部に生じた変化を捉えるものだとすれば、デジタルバイオマーカーは、その人の日常に現れる変化を捉える可能性を持っているのである。
AIは、点と点をつなぐ
しかし、人間一人から生み出される情報はあまりにも多い。
血液、脳画像、表情、声、睡眠、行動、認知機能。
これらを別々に見るのではなく、互いの関係を解析しようとするとき、AIが重要になってくる。
2026年9月のレビューでは、血液バイオマーカーとAIを組み合わせる研究が整理され、さらに血液、神経画像、遺伝情報などを統合するマルチモーダルなアプローチも紹介されている。 [frontiersin.org]
つまり、これからの認知症研究では、
「何か一つの数字だけを見る科学」から、「複数の変化の関係を見る科学」へ
という転換が起こる可能性がある。
例えば、その人自身の普段の状態を基準として、会話や行動、表情、睡眠などに少しずつ変化が重なったとする。
その変化を長時間の流れとして捉えることができれば、「認知症であるか、ないか」という二択ではなく、
「いつもと少し違う」
という小さな変化を、人間が気づく手掛かりにできるかもしれない。
精度だけでは、人を救えない
ただし、ここで科学は新しい問題に直面する。
高い精度の検査やAIをつくれば、それだけで認知症医療が良くなるのだろうか。
答えは、それほど単純ではない。
奇しくも2026年10月20日に公表された論考は、血液・デジタルバイオマーカーを実際のアルツハイマー病診療へ導入するとき、単なる「accuracy=精度」だけではなく、医療の経路全体から実装を考える必要性をテーマとしている。
どんなに優れたAIでも、その数字だけで人間を決めつけるべきではない。
検査結果に曖昧さがあれば、別の検査を行う。異なる結果が出れば、もう一度その人を診る。
2026年の包括的レビューも、複数の検査結果が一致しない場合には自動的に分類を変えるのではなく、再評価することの重要性を指摘している。
つまり、科学が高度になればなるほど、最後に必要なのは、
「この人に、いま何が起きているのだろう」
と考える人間なのである。
そして、再び「心」へ
ここで、この3部作の最初の問いへ戻ってみたい。
心は脳のどこにあるのか。
私たちは、その答えを求めて脳を見てきた。
やがて表情を見た。
そして血液を調べ、声を聞き、行動や睡眠を測り、AIによってそれらの関係まで分析しようとしている。
それでも、「心」という物質そのものが見つかったわけではない。
むしろ科学が進歩したことで、私たちは別のことに気づき始めたのではないだろうか。
人間は、一つの数値では説明できない。
脳と身体がある。
記憶がある。
感情がある。
生きてきた時間がある。
そして、その人を取り巻く人や環境がある。
それらが互いに関係しながら、「いま、この人」をつくっている。
だから、これからの認知症科学が目指すべきものは、単に病気を早く見つけることだけではない。
変化を早く見つけ、その意味を考え、その人に必要な支援へつなげること。
AIも、血液バイオマーカーも、デジタルバイオマーカーも、そのための道具である。
科学はこれから、ますます多くのものを「見える化」していくだろう。
しかし、どれほど科学が進歩しても、最後に私たちが見なければならないものは、病気そのものではない。

病気とともに生きている「人」である。
かつて私たちは、「心はどこにあるのか」と問い続けてきた。
だが、これからの科学が本当に問うべきことは、少し違うのかもしれない。
「心はどこにあるのか」ではない。
「目の前にいるこの人を、私たちはどこまで理解できるのか。」
その問いに答えようとするところから、
脳と心をめぐる次の科学が始まる。
《脳と心をめぐる新しい科学・完》