Science Park 2026年11月号

脳と心をめぐる新しい科学[第1部]

心は脳のどこにあるのか

認知症から見えてくる「脳・記憶・感情」の新しい科学

「心は、いったいどこにあるのだろう」。

胸が痛む、胸が躍る、心が折れる。私たちは昔から、あたかも胸の奥に「心」という器官が存在するかのように語ってきた。しかし、医学や神経科学が脳の内部を詳細に観察できるようになった現在でも、「ここが心である」と指し示せる場所は見つかっていない。

17世紀、フランスの哲学者ルネ・デカルトは、身体と心を異なるものとして考えた。「我思う、故に我在り」という有名な言葉が示すように、人間には物質としての身体とは別に、考え、感じる「心」が存在すると考えたのである。

それから約400年。脳科学は飛躍的に進歩した。

記憶に深く関係する海馬、情動に関係する扁桃体、判断や行動の調整に重要な前頭前野など、さまざまな脳領域の働きが明らかになってきた。しかし、研究が進めば進むほど、逆に一つの疑問が浮かび上がってくる。

では、「心」はそのどこに存在するのだろうか。

答えは、意外にも「一か所には存在しない」という方向へ向かっている。

「心」をつくる脳のネットワーク

かつて脳研究では「どの場所が何を担当しているのか」という機能局在が大きなテーマだった。しかし現在では、感情や社会的認知のような複雑な現象を、複数の脳領域が相互作用するネットワークとして捉える研究が進んでいる。

2025年に『Biological Psychiatry』に掲載された神経画像研究のメタ解析では、神経変性疾患を対象として、身体内部の状態を感じ取る「内受容感覚(interoception)」、感情、社会的認知に関係する脳領域の重なりが検討された。

さらに2026年には、アルツハイマー病と前頭側頭型認知症における認知と感情の関係を、ネットワークの観点から解析した研究も報告されている。 [sciencedirect.com]

「考える脳」と「感じる脳」を完全に切り分けるのではなく、その相互作用から人間を理解しようとする方向へ、科学は進んでいるのである。

これは認知症を考えるうえで、とても重要な視点である。

記憶を失えば、心も失われるのか

認知症が進行すると、昨日の出来事を忘れたり、人の名前を思い出せなくなったりすることがある。

だから私たちは、ときに「何も分からなくなった」と受け止めてしまう。

しかし、本当にそうだろうか。

昔の写真を見せた瞬間、表情が変わる。懐かしい歌を聴くと口ずさむ。よく知っている人の声を聞いて穏やかな表情を見せる。一方で、見慣れない環境や突然の接触に強い反応を示す場合もある。

そこでは、「出来事を言葉で説明できるか」という記憶だけでは捉えきれない何かが働いている。

私は十数年前から、認知症の人の「脳」と「心」の関係について考えてきた。そのなかで一つの手掛かりとなったのが、ドイツの哲学者・精神科医ヤスパースの思想である。

人間の心を完全に「解明」することはできなくても、その人の立場や体験に近づき、「了解」することはできる。
それから十数年を経て、AIが人の言葉や表情、行動、さらには身体の変化から、その人の状態を捉えようとする時代になった。だからこそ今、この「解明」と「了解」の違いは、かつて以上に重要な意味を持ち始めているように思う。

科学技術が進歩すれば、心のすべてを数字に置き換えられるわけではない。むしろ測定できるものが増えたからこそ、その数値の向こう側にいる「人」を理解することが重要になる。

同じ刺激でも、同じ心にはならない

例えば、二人の人に同じ音楽を聴いてもらったとする。

一人には青春時代の幸福な記憶につながる曲かもしれない。しかし、もう一人にとっては悲しい別れを思い出させる曲かもしれない。

外から与えられた刺激は同じである。それでも反応は違う。

なぜなら、その刺激と反応の間に、その人自身が存在するからである。

心理学には、単純な「刺激(Stimulus)→反応(Response)」だけでは人間の行動を説明できず、その間に「有機体(Organism)」を置く考え方がある。元稿でもこのS-O-Rという視点を、認知症の人の心を理解するための重要な考えとして取り上げている。

同じ場所、同じ言葉、同じ介助であっても、記憶、身体の状態、欲求、過去の経験が違えば「O」が違う。したがって「R」も変わる。

認知症ケアが、単純なマニュアルだけでは成立しにくい理由がここにある。

脳を見る科学から、人を見る科学へ

そして現在、科学はさらに興味深い方向へ進み始めた。

脳画像だけではない。表情、声、行動、睡眠、身体活動、心拍など、人間が日常生活で発しているさまざまな情報から、その人の状態を捉えようとする研究が広がっている。

それは「心そのもの」を機械が読めるようになったという意味ではない。

むしろ重要なのは、直接見ることのできない心を、脳・身体・行動・環境の関係から少しずつ理解しようとしていることではないだろうか。

認知症になって記憶する力や言葉で表現する力が衰えても、その人の人生まで消えてしまうわけではない。

好きだった音楽がある。懐かしい風景がある。大切だった人がいる。そして、それらに出会ったとき、表情や身体に小さな変化が現れることがある。

私たちが見なければならないのは、その変化なのかもしれない。

「心は脳のどこにあるのか」。

現代科学が提示し始めた答えは、一つの場所を指すものではない。脳と身体、記憶、感情、そしてその人を取り巻く環境。それらが互いに作用するところに、私たちが「心」と呼んできた現象が現れる。

だからこそ認知症の人を理解することは、「失われた機能」を探すことだけではない。

その人が何を見て、何を感じ、なぜその行動をしたのか。

その小さなサインを読み取る科学が、いま始まっている。

そして、その最前線で研究者たちが注目しているものの一つが、私たちが毎日、無意識のうちに互いに見ているものなのである。

「表情」だ。

社団法人認知症高齢者研究所
Senior Dementia Institute

〒224-0032 神奈川県横浜市都筑区茅ケ崎中央20−14 松本ビルB館 4F
TEL:045-949-0201 FAX:045-949-0221
Copyright © 2018 Senior Dementia Institute. All Rights Reserved.


PAGE TOP