今月の心に残る一冊

塩井純一

「BUTTER」柚木麻子著、新潮文庫、2020年1月刊(原著は2017年)

冒頭「生成り色のーーー建売住宅」から始まるのですが、読書仲間に「生成り色」をどう読むか訊かれて「なまなりいろ」じゃないのと答えて、意味も判らなかったのですが、別の友人から「きなりいろ」と読み、意味は「木綿や麻の漂白・染色前の黄みがかった白色」と教わりました。次のページでは「甘やかな桃色の肉」が出てきて、そのユニークで豊な表現に感心する一方「甘やかではない桃色の肉」もあるとしてどう違うのかが気になったりと、一見きらびやかな装飾的形容詞の多用に多少抵抗がありました。短刀直入、簡潔・明晰表現を求められる研究論文書きに明け暮れた科学者の性癖が邪魔したようで、途中で切り上げようかと迷ったくらいです。でもその後の、刑務所での梶井との面談には引き込まれました。続いての何回かの面談場面を含めて、ジャーナリストの主人公里香と収容囚の梶井との「心理戦」の様相を帯びた駆け引き、その推理小説的な展開に最後まで読み切れました。

脳科学者として、脳の主要機能である「思考」に関心があり、神経細胞のネットワーク構築からの理解を志していました。画像解析の進歩により、ミリ秒レベルでの時間解像度での神経細胞やそのネットワークの機能理解は進んでますが、実際の「思考」にみられる、数日から数年、数十年にわたる過去の履歴、人生経験の上に成りったっている脳機能の理解はまだまだで、小説や哲学による「思考」理解の方が進んでいるのではないかという私の現状認識があります。その意味で、主要登場人物の里香、玲子、梶井の人物像、キャラクターは巧みに描き分けられており、私にとって人間の「思考」理解に役立っています。他方、誠、篠井、横田といった男性群のキャラクター描写、人物像には物足りなさを感じたのですが、わき役としての小説表現上の限界もあるのかもしれません。また、一人娘の父親である私にとっては、上記主要登場人物の父・娘関係の様々な有り様が興味深く、関心を惹きました。

「なぜ日本人は間違えたのか」保坂正康著、新潮新書、2025年7月刊

明治維新から終戦までの77年間を近代史、戦後から現在までの81年間を現代史と区分すると知り、80歳になる自分がほぼ現代史を生き抜いて来た事に感慨を覚えました。また遥か昔の時代と思っていた明治・大正・昭和初期にわたる近代史の期間が、私の生きた現代史より短く、ま近に繋がっていることに気づかされ、驚かされました。

著者は「同時代の見方」に対して「歴史の見方」を提唱しています。「同時代の見方」がその時点での政治的・社会的状況や、独善的、或いは一過的な歴史観(唯物史観や皇国史観を指す)に支配された解釈だとし、こうした「同時代」からの枠組みから脱出するのが「歴史の見方」だとするのです。現代史、近代史を分析する歴史学者が「同時代の見方」の文献学に陥りがちなのを批判しています。戦争の場合ですと、物理的に現場取材はかなり困難ですし、軍事的・政治的な思惑によっても取材・公表が制限されます。学者の研究は事件や事変での公式発表や、偏向、制限された報道に依拠しがちです。それに対し、時を経て当事者・証言者を探し出し、取材することにより明らかにできる事も多々あり、その様なアプローチを担う、「歴史」発掘ジャーナリストとして、著者は活動しているようです。本書では昭和時代の時代史的分析を試みています。昭和史の中の主要な六つの事件、事象について、幅広いインタビューにより、知られていない逸話を掘り出し「これまでの理解や解釈を解体して新しい解釈や理解が可能ではないか」と展開しています。

江戸期267年と現代史81年は戦争が無く、戦争に明け暮れた近代史期間が特別だったと本著者は指摘します。しかし江戸期の前には戦乱の戦国時代があったわけで、大きい目で見ると、戦乱から平和、平和から戦乱の歴史がたびたび繰り返されてきただけで、「歴史は繰り返す」のより大きな視点で考える必要もありそうです。「近代日本は江戸時代の良質な伝統文化を捨てて、慌てて欧米風の文化、思想、制度を取り入れた。

それを生噛りで受け入れ、そして見事に解体した」と主張しているのですが、欧米文化を取り入れざるを得なかった、世界史的な流れを無視しています。「伝統文化」を守っていたら、当時の欧米列強の侵略的帝国主義に太刀打ちできず、植民地にされるところだったのですから。江戸期の歴史理解にも疑問を感じます。強固な封建制により平和を保てたのですが、その下で呻吟する農民の苦しみもあり、更に「士農工商」外の賤民・部落民もいたのですから。

「歴史」を発掘するジャーナリストとしての著者の貢献は評価できますが、歴史的解釈は物足りない、或いは同意できないものがありました。因みに本書タイトルの「なぜ日本人は間違えたのか」に対する答えも判然としませんでした。少なくとも、日本の敗戦については私が既に理解していた「当時の日米の経済力格差の無理解・軽視」以上に説得力のある答えは見当たりませんでした。

「結構なものを……」父のお礼

大和田香織「毎日メディカル」編集部

 「認知症」というと主な症状に「記憶力の低下」が思い浮かびますが、単になんでも忘れてわからなくなるわけではありません。
 4年前に認知症の診断を受けた父は、デイサービスや訪問介護をフル活用し一人で暮らしています。数分前の食事や会話の内容を覚えていませんが、ほぼ毎朝自分で身支度を調え、冷蔵庫のご飯とおかずを電子レンジで温めて食事します。お中元が届いてもすぐ忘れますが、私が相手にお礼の電話をかけ父に受話器を渡すと「結構なものをいただき……」などと話しています。
 私たちはふだん、時間の経過、話し相手の表情などさまざまな情報を頭の中で取捨選択・分析して動いており、認知症とはたくさんあるパズルの1ピース、あるいは精巧な機械の部品の一部だけが外れるようなもの……と父を見て感じます。パズルや機械の全体が変質するのとは違うのです。
 今回紹介する佐藤眞一さんの記事では、介護の場面での「人間の成熟」を取り上げました。私たちは社会で自立するよう求められて大人になりますが、2040年には65歳以上の3人に1人が認知症やその手前の軽度認知障害にあてはまると推計され、多くの人が人生の終盤は他者に依存して暮らさざるをえません。精神分析や心理学の研究理論では、人間の発達の到達点は自立ではなく「成熟した依存」とされているそうです。いったいどういうことなのか、ぜひ読んでみてください。

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