心に残る今月の一冊

塩井純一

「赤毛のアン」モンゴメリ著、河合祥一朗訳、

角川文庫、2025年刊

原著のタイトルは「Anne of Green Gables」で1908年出版の小説です。みなしごの主人公アンが養女として引き取られた家が「Green Gables(緑色の切妻屋根)」と呼ばれていたのに因んでいます。対して日本語訳タイトルの「赤毛のアン」は初邦訳の訳者村岡花子(1952年)によるもので、シンプルで親しみ易いタイトルが日本での児童書としての人気・地位確立に寄与したように思います。主人公のアンは、「窓際のトットちゃん」(黒柳徹子)を思い起こさせました。二人ともおしゃべり大好きで、想像力豊かな女の子。トットちゃんの生活舞台は主に東京という大都会に対し、アンの生活はセント・エドワード島の片田舎なのが際立つ違いの一つでしょうか。この島を30年ほど前に、先日亡くなった妻と訪れて、そのメルヘンチックな景観に浸った思い出があります。

当地(米国東部)在住の日本人参加の読書会で取り上げられた本なのですが、私は当初興味薄でした。しかし、単なる児童書ではなく、作者の文学的素養が土台にあり、作中にも英文学作品や聖書の引用が多数見られるという、読書会リーダーの紹介に、英文学者であり、東大教授の河合祥一朗訳を敢えて選んで、読みました。チョット直訳かと思われる箇所が幾つかあり、文意から離れているのを英語原文を参照して発見しました。例えば最初の数ページ目に「―――この家屋敷を手に入れたとき、―――できるかぎり人からはなれたところに居を構えたのだった」の記述に違和感を抱いたのですが、「家屋敷」は原文英語では「homestead」であり、「農地」とか「敷地」と訳せば、すっきりします。その土地を開墾して家を建てたのですから。

総じて、アンの活き活きとした生き様・思考の描写が傑出していますが、周りの人々の描き分けも良くできており、様々なヒトの「心」の理解は「文学」の方が、「脳科学」より先をいってるの感を脳科学者として確認です。でもどちらが優れているかというより、両者の異なるアプローチが「心」の理解に必要なのだろうと考察しています。更に、今や急速な技術的進化を遂げているAIが両者の橋渡し、或いは融合に寄与しそうな予感があります。

『赤毛のアン』の物語は、少女アンの成長とともに、人生の季節を静かにめくっていきます。 その続編である 『アンの青春(Anne of Avonlea)』 では、教師となったアンが、子どもたちや村人との関わりを通して「他者を理解することの難しさと喜び」を学んでいきます。 若き日の理想と現実のあいだで揺れる心の描写は、モンゴメリの筆致ならではの繊細さに満ちています。

さらに 『アンの初恋(Anne of the Island)』 では、大学進学のために島を離れたアンが、友情と恋愛、そして自立の意味を見つめ直します。 青春の光と影を描くこの作品は、単なる恋物語ではなく、「自分の人生を選び取る」という普遍的なテーマを静かに問いかけます。

いずれの作品も、河合祥一郎訳による新訳版(角川文庫)は、原文のリズムと詩情を丁寧に再現しながら、現代の読者にも読みやすい言葉で綴られています。 アンの成長を追うことは、私たち自身の「心の成熟」を見つめ直す旅でもあります。文学が描く心の機微は、脳科学のデータでは捉えきれない“人間の物語”そのもの。 塩井先生の言葉を借りれば、「文学と科学の両輪が、心の理解を深める未来を拓く」のかもしれません。

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