❖記憶の海へようこそ❖
今回のメルマガでは、脳と記憶の不思議な世界を、最新の研究とともにひもといていきます。

私たちは日々、膨大な情報に囲まれて生きています。
その中で、何を覚え、何を忘れ、何を“自分の記憶”として受け入れているのでしょうか?
記憶は、ただの記録ではありません。 それは、感情や環境、そして脳の仕組みによって、絶えず形を変える“生きた現象”です。
ときに事実をすり替え、ときに私たちを守り、ときに未来を準備する――そんな記憶の力は、認知症ケアや教育、そして日々の暮らしにも深く関わっています。
今回のテーマは「記憶の不確かさとその意味」です。脳科学の観点から、記憶の仕組みや曖昧さについて考え、自分の思い出との向き合い方を探ります。
脳と記憶について一緒に学びましょう。自分の記憶力に自信がありますか?見たものを正確に思い出せますか?
あなたは、自分の記憶にどれほどの確信を持っていますか?
「見たものは忘れない」と思っていても、実は私たちの脳は、見たはずの記憶さえ無意識のうちに変化させてしまうことがあるのです。

理化学研究所の研究によると、私たちの脳は、ある出来事の順序を正しく記憶したはずなのに、時間が経つとその順序が“逆さま”に再構成されてしまうことがあり、たとえば「リンゴ→バナナ→オレンジ」と見たはずなのに、後になって「オレンジ→バナナ→リンゴ」と思い込んでしまうような現象が起こることが報告されています。
https://www.riken.jp/press/2025/20250221_1/index.html
これは脳の記憶を司る海馬の働きによるもので、fMRIによる脳活動の解析から、記憶直後は正しい順序を認識できていたにもかかわらず、24時間後には逆順の記憶と区別がつかなくなっていたことが明らかになり、こうした記憶の再構成は「後件肯定の誤謬」と呼ばれる論理のすり替えにもつながり、無意識のうちに記憶が書き換えられることで、勘違いや誤認が生まれる可能性があるとされているようです。
一方で、富山大学の研究では、睡眠中の脳が過去の記憶を整理するだけでなく、未来に起こる出来事の“受け皿”となる神経細胞の準備を進めていることが発見され、マウスの脳内で記憶を担うエングラム細胞の活動を観察した結果、まだ経験していない出来事の記憶を担う“予備のエングラム細胞”が睡眠中にすでに脳内で準備されていたことが分かってきました。
しかもその準備は直前に記憶した内容の影響を受けていることから、脳は昨日の記憶を整理しながら、明日の出来事に備える“予習”をしていることが示され、これらの研究成果は、記憶が単なる過去の記録ではなく、未来への準備としても働いていることを示しており、認知症ケアや教育、日常生活における記憶の理解と活用に新たな可能性をもたらしています。
このような記憶の柔軟性は、私たちの暮らしに深い示唆を与えてくれます。
たとえば、認知症ケアでは「記憶の順序が変わること」を前提にした支援設計が求められます。出来事の順番にこだわるよりも、本人が“どう感じたか”を尊重することで、安心感や自尊心を保つことができるのです。
また、教育の場では、睡眠の質が記憶の定着だけでなく、未来の学習準備にも関わっていることが注目されています。夜の睡眠が、翌日の理解力や創造力に影響するなら、学びの設計も「眠りを含めた学習」として見直す必要があるかもしれません。
さらに、日常生活でも「記憶は変化するもの」と理解しておくことで、人とのすれ違いや誤解に対して、少しだけ寛容になれるかもしれません。
記憶は水のように、流れながら形を変えるもの・・・だからこそ、私たちはその変化を受け入れ、活かしていく知恵を持つことが大切なのです。
記憶の仕組みを知ることは、脳の働きを理解するだけでなく、人との関わり方や自分自身との向き合い方にもつながっていくのですから・・・。
かつて、記憶は「情報を格納するホルダーが並ぶファイルキャビネットのようなもの」と考えられていました。 しかし、最新の研究は、記憶が脳全体にまたがる複雑なプロセスであることを明らかにしています。
理化学研究所の2025年の研究によると、記憶の定着には神経細胞だけでなく、アストロサイトというグリア細胞が重要な役割を果たしていることが判明しました。 この細胞は、強い感情を伴う体験を“分子の痕跡”として残し、再び同じ体験をしたときに記憶として選び取る「安定化スイッチ」として働くのです。実際には、私たちの脳と記憶は、常に私たち自身をあざむいているのですが、それには理由があるのです。
記憶とは、単なる“思い出し”ではなく、脳が過去の出来事を選び取り、再構成し、ときには新たに創り出すという、極めて創造的なプロセスです。そのため、人は実際には経験していない出来事を、まるで体験したかのように記憶してしまうことがあり、これが「偽りの記憶(false memory)」と呼ばれます。さらに、沖縄科学技術大学院大学の研究によれば、脳は睡眠中に過去の記憶を整理するだけでなく、未来に起こりうる出来事への“予習”まで行っていることが示されており、記憶は過去と未来をつなぐダイナミックな働きを担っているのです。

記憶memoryは、ただの記録(キロク)recordではないのです。
私たちは、記憶に絶対の信頼を置いていますが、記憶というのは時としてとてつもなく不正確になりえるのです。
たとえば、私達の脳は実際には起きてもいないことを思い出して、あたかも本当に置きているように感じるのです。
こうした記憶の再構成は、PTSDやアルツハイマー病などの症状にも深く関係しています。 特定の出来事の詳細な情報を与えられると、脳はそれを自らの体験として誤認することがあるのです。
これは「自発的想起」と呼ばれ、記憶が本人の意志とは関係なく、新しい情報によって操られてしまう現象なのです。
第三章 記憶はスポットライト
ここでは、そんな不可思議な脳の謎を追及してみましょう。

人は注意を払って記憶しないものは、思い出せないのです。
実際、人が意識している箇所は、視覚で言えば非常に小さな円で、動き回るスポットライトのようなのです。
複雑で洗練されているように思える脳ですが、日々の生活で拾い上げているのは、ほんのわずかな情報のみなのです。
選択された小さくて細かい情報だけが、記憶を決定づけているのです。
つまり、記憶というのは、身の回りに起きていることの要点を抜き出したものでしかないのです。出来事を全部覚えているわけではないのです。
記憶とは、私たちの脳が持つ“創造的な力”の一つ。 それは、事実と想像の境界を曖昧にしながら、人生の物語を編み上げているのです。
では、私たちはなぜ、実際には起きていない記憶にさえ確信を持ってしまうのでしょうか? その答えは、脳の“効率重視”の設計と、記憶の仕組みにあります。
アメリカの心理学者ジョージ・ミラー博士は、人の短期記憶は一度に4~7個の情報しか保持できないと提唱しました。これは「マジック7」と呼ばれ、これを超えると記憶違いが起こりやすくなるのです。
さらに、理化学研究所の2025年の研究では、無意識のうちに記憶が“逆さま”に再構成されることが明らかになったので、たとえば「Aの後にBが起きた」という出来事を記憶したつもりでも、時間が経つと「Bの後にAが起きた」と思い込んでしまうのです。 このような記憶の変化には、海馬の右側が深く関与していることも、fMRIによって確認されています。
人の記憶は、気付かないうちに次から次にと新しい情報で上書きしてしまいます。しかも、脳は、そんな記憶をもてあそんでいるのです。
人間の脳は、地上最高の装置と呼ばれています。宇宙の謎を解き、人類の歴史を書き換えてきた装置です。

しかし、私たちの脳は完ぺきではありません。
そして、おそらく、最大の難点は記憶でしょう!
注意を払っている時でさえ、細部が抜け落ちることが多々あります。
米国カリフォルニア大学の研究にHow much information という報告があります。その試算によると、人間の脳は1日に34ギガバイトに相当する情報を受け取って1日に消費する言葉は平均10万語だそうです。しかも、記憶に残る分だけでこの容量ですから凄いです。
人の脳は非常に複雑で洗練されているように見えますが、実際には日々膨大な情報にさらされているため、細部の記憶が曖昧になるのは当然のことです。
脳は推定で1秒間に約4000億ビットもの情報を受け取っていますが、私たちが意識的に記憶できるのはそのうちのわずか2000ビット分に過ぎず、つまり日常の経験のうち2億分の1しか記憶に残らないのです。
こうした限られた情報の中で、脳は選び、再構成しながら記憶を形成していきますが、特に感情が高ぶったときにはその再構成が強く働き、実際には起きていない出来事を「体験した」と思い込む虚偽記憶(false memory)として定着することがあります。
例えば、記憶の再構成性と虚偽記憶(false memory)の研究で世界的に知られるアメリカの認知心理学者ロフタス博士の実験1995年に発表された「ショッピングモール迷子実験」があります。
この研究では、被験者の家族に協力してもらい、実際にあった3つの思い出話とともに、架空の「ショッピングモールで迷子になった」という話を加えて語らせました。
すると、約25%の被験者がその架空の出来事を本当に体験したと信じ込み、細部まで思い出すようになったのです。中には「店員に助けられた」「特定の店の前で泣いていた」など、具体的な描写を加える人もいて、記憶が外部の情報だけでなく本人の想像力によって補完・強化されることが示されました。
しかも、私たちはその記憶が正しいかどうかを自分では判断できず、「バーナム効果」や「真実性錯覚効果」といった心理的バイアスによって、曖昧な説明を自分に当てはまると信じたり、繰り返し聞いた情報を真実だと錯覚してしまうのです。
脳は、限られたエネルギー(約15ワット)で膨大な情報を処理するため、細部を省略し、全体像を優先するようにできています。 その結果、私たちは「見たいものだけを見て」「信じたいものだけを信じる」傾向を持つのです。
つまり、記憶の誤りは“脳の欠陥”ではなく、“効率を重視した進化の結果”なのです。

To be continued.