Episode1 睡眠を調節する視床下部
ー前脳基底部とともに睡眠中枢を担うー

今回のサイエンスパークは、脳と睡眠の関係を見ていきます。
以前は、脳幹にある脳幹摸様体という神経細胞群が睡眠物質や覚醒物質を出すことで睡眠を支配していると考えられていました。
しかし、眠っているネコの脳幹摸様体を刺激しても、確かにいったんは起きますが、またすぐに寝てしまいます。
このことから、脳幹摸様体は起きている時には覚醒に関係していますが、眠っている状態から覚醒させるという役割は無いことが分かったのです。

では、睡眠中枢を担っている本当の器官はどこなのでしょうか。ある実験によれば、ネコの視床下部の前部を破壊すると、ネコは眠らなくなってしまいました。また、その逆で視床下部の後部を破壊すると、眠り続けたといいます。このことから、睡眠中枢とは脳幹摸様体ではなく視床下部と前脳基底部が関係しており、前後の視床下部などでお互いに睡眠と覚醒を調節していることが分かってきました。また、そのほかにも、延髄なども睡眠中枢としての機能を持つと考えられています。
眠りにつくしくみをもう少し詳しく説明すると、何日も寝ていなかったり、疲労が蓄積したりすると、前脳基底部と視床下部前部にある睡眠中枢が活動をはじめます。
すると、覚醒のために活動していた脳幹摸様体と視床下部後部の働きが抑制され、大脳皮質の活動が抑えられます(レム睡眠)。
その後、脳幹摸様体の活動が完全に抑えられ、深い眠りであるノンレム睡眠となるのです。
覚醒のために放出されるのは、ノルアドレナリンやセロトニンなどの脳内モノアミンと呼ばれる物質であると考えられています。
Episode2 睡眠は何のためにあるのか
ー脳とからだを休めるためー

では、睡眠とはいったい何なのでしょうか。一言でいうと、脳とからだを休めるためのものです。
私たちは生命を維持するための体内時計というものをもっていて、大体25時間周期でからだのリズムをつくっています。
その25時間のうちで休息の時間帯をもうけ、眠っているのです。
たとえば、真っ暗な部屋に閉じ込められた場合、同じ時間に起きているとおもっても、体内時計は1時間ずつ進んでいくことになるのです。この体内時計は視床下部にあると考えられています。
では、その体内時計を無視して眠らないでいるとどうなるのでしょうか。脳に関していうと、人間を何日も眠らせないという実験をした報告がいくつかあります。それによると、92時間眠らなかった例では、3日目から実際にはないものが見える幻視があらわれ、4日目には判断や記憶に障害が見られたといいます。
ただ、これらは一晩眠れば回復します。
また、ネズミを眠らせずに観察したところ、2週間で皮膚に腫瘍ができたといいます。その後、皮膚の炎症やストレスによる副腎の肥大などが見られ、4週間後には死んでしまったといいます。
身近な例では、寝不足で肌があれることがあります。これは、眠らないと、成長ホルモンが十分にでないので、新陳代謝が不十分になるからです。これからも、からだにとっても睡眠は大切であることが分かります。
その睡眠の時間ですが、成人だと6~8時間必要です。
子どもはもっと必要で、幼児で12~14 時間、小学生で10~12時間必要だといわれています。この睡眠時間は動物によっても異なります。豚やウサギは人間と同じで8時間くらいですが、ネコは14時間も寝ているのですす。
Episode3 眠る脳と眠らない脳
ー脳幹は一生眠らないー

睡眠中は、私たちの脳は休息のために眠っています。睡眠をコントロールしているのは脳なのだから、脳が自分自身を眠らせているといっていいのですが、眠らせる本人が眠ってしまうのでは、コントロールはできない。実は、脳全体が眠りに入っているわけではないのです。起きている脳もあるのです。
起きている脳があるのは、脳の睡眠のコントロールのためだけではないです。脳は内臓の働きなども関係しているので、もし脳が全部眠ってしまったら、心臓なども止まってしまいます。呼吸もできない。そうならないためにも、起きている脳が必要なのです。
つまり、脳には眠る脳と、自分以外の脳を眠らせ、自分では眠らない脳があるということです。
眠る脳は、大脳皮質です。ここは、これまで述べてきたように、私たちにとって非常に大切なところで、たっぷりと休んでもらう必要があります。そのため、眠るのです。ちなみに、眠ると意識がなくなるのは、意識のもとになっているこの大脳皮質が休息してしまうからです。大脳皮質が眠ると、小脳や視床なども眠ります。

一方、眠らない脳は、視床下部、中脳、橋、延髄などの脳幹の一部です。ここは、睡眠中枢ともいわれ、大脳皮質を休ませ、眠りの度合を調整したり、呼吸や体温の調整などを行い、生命を維持したりしています。
脳幹の労働時間は24時間。つまり、一生眠らないで働いているのです。呼吸や心臓が止まらないのも、ここが眠らないでいてくれるからなのです。
Episode4 レム睡眠とノンレム睡眠
ー浅い眠りと深い眠りー

睡眠には種類があります。眠っている人の目を観察すると、遠く目玉を動かしているときと、そうでないときがあります。これは、眠りの状態の違いがあらわれています。
この目玉が不規則にきょろきょろ動く状態をRapid eye Movement(急速な目の運動)の頭文字をREM(レム)睡眠と呼び、目玉がそれほど動かない睡眠をノンレム睡眠non-REM sleepと呼びます。
レム睡眠は、「浅い眠り」ともいわれ、大脳皮質は完全に眠っているのではなく、働いています。だから、目玉が活発に働くのです。ちなみに、このとき、ものを目で追っている夢をみていたという報告があります。目玉だけでなく、顔面や手足の筋肉がぴくぴく動いたりもします。
脳波を調べると活発で、血圧や心拍数、呼吸数も起きているときよりも多くなっています。ただ、からだのほうは休んでいます。筋肉はだらっと弛緩して働いていない状態で「からだの眠り」とも言われています。手足がまったく動かない状態になる金縛りは、大脳はまだ働いているのに、筋肉が休んでしまったこのときに起きるものだと考えられています。
以上のことから、レム睡眠は眠っているが覚醒していて、起こそうとしても目覚めない不思議な睡眠という意味で、逆説睡眠とも呼ばれます。
もう1つのノンレム睡眠は、「深い眠り」です。大脳は眠りにおち、目玉はゆるやかにリズミカルに動いています。血圧や心拍数は安定して下がっていきます。このときは起こしてもなかなかおきません。筋肉は眠っていないため、寝返りをうったりすることもできます。また、ゆっくりとした脳波が見られることから徐波睡眠とも呼ばれます。
Episode5 レム睡眠とノンレム睡眠の周期
ー明け方になるとレム睡眠が長くなるー

私たちは、眠っている間にレム睡眠とノンレム睡眠を繰り返しています。年齢によって、両者の時間には違いがあり、赤ちゃんには、睡眠の75%がレム睡眠で、成長するにつれて、レム睡眠が少なくなり、小さな子どもだと50%程度で、以後20~25%となります。
ところで、このレム睡眠とノンレム睡眠の繰り返しには、規則性があります。
まず、睡眠はノンレム睡眠から始まり、時間が経過してレム睡眠に入っていきます。ノンレム睡眠に入ってからは、次の4つの段階を経ていきます。
第一段階は入眠期で、睡眠への移行段階です。1分半から7分ほど続きます。第二段階からが睡眠のはじまりで、すやすやと寝息をたてはじめます。第三段階以降は熟眠期で、第四段階に向って眠りは深まっていきます。そして、再び眠りが浅くなり、レム睡眠に戻っていくのです。
この繰り返しが、成人の場合、約90分周期(これを睡眠周期という)で、一晩のうちに4~6回おこなわれています。ただ、1回の周期の時間の間隔が変わってきます。どういうことかというと、はじめの1~2回の睡眠周期の時は、ノンレム睡眠の時間のほうが長く、明けがたになるにつれて、時間の長さが逆転していき、レム睡眠が10分、20分、30分と長くなっていきます。そして、朝になると、40分くらいがレム睡眠となるのです。
脳は、両方の睡眠の割合を変化させていくことによって、目覚めへの準備をしていくということなのです。
Episode6 芸術と脳の関係
ー芸術はマネからはじまるー

五感をフルに活用するものの1つに、芸術がある。ここからは、芸術と脳の関係を見ていくことにしましょう。実はそこには、脳の興味深い特徴があります。
芸術のはじまりを考えた時、まず最初に浮かんでくるのは、洞窟画でしょう。自分たちのまわりにいる動物の姿を壁画にするという作業を通して、ヒトはその姿を永遠に記録しようとしました。
そこには、リアルな絵を描くことで他の人々に対する自分の縄張りや優位性を表現するという意図があったと考えられます。
つまり、芸術とは、周囲の人々に自分の魅力や能力を「表現する」方法の1つなのです。
雄のクジャクが羽を広げて、雌をひきつける行動と同じように、自分の血をのこしていくために不可欠な行動の1つだったのです。
この芸術活動を含め、言葉、動作などの表現行動は、マネからはじまると考えられています。たとえば、赤ちゃんは母親の口元の動きや音の高低などで、表現活動の第一歩である言葉の意味を理解します。
このとき、左下前頭回後部にあるブローカ領野の一部が重要なやくわりを果たしていることがわかっています。そこには、ミラー・ニューロンと呼ばれる神経細胞が存在します。これは、他人の表情や声を感じ取り、それと同じような気持ちになる信号を出す細胞です。つまり、ミラー・ニューロンは動作や音声の高低を感じ取って、その組み合わせをマネするのです。
Episode7 正直脳とウソつき脳
ー本能を抑制する前方連合野ー

大脳は左右の脳にわかれて作業を行っています。しかし、前後でも脳の作業は分けられているのです。
大脳皮質を横から見ると、中心溝という深いミゾがあります。ここから後方の頭頂葉、側頭葉、後頭葉の領域には、体性感覚、聴覚、視覚、味覚、嗅覚などの感覚情報を受け取る後方連合野という領域があります。この領域では、受け取った情報を処理、きおくし、適切な行動を行うことができるような支持が出ます。一方、中心溝より前方の前頭葉付近には、前方連合野という領域が存在します。ここにも、後方連合野と同じ情報が伝わってきます。しかし、その後の過程が大きく異なるのです。
たとえば、とてものどが渇いていたとき、冷蔵庫を開けると牛乳があったとしましょう。しかし、それは賞味期限をかなり過ぎていたとします。 このとき後方連合野の場合は、自己の感覚に素直にその牛乳を飲みなさいと指令を出します。一方、前方連合野は、仮にのんだときにどのような結果が起きるのかを推測することができます。つまり、過去の記憶などを根拠にその行動が正しいかを判断するのです。この場合であれば、喉が渇いていてもお腹をこわす恐れがあるので、飲むのは止めなさいという指令が出るでしょう。
このように、後方連合野は感覚神経を通して、感じたとおりに行動を促がし、前方連合野は仮の結末を予想し、その行動を判断するのです。いわば、後方連合野は本能のままに行動する「正直脳」であるのに対して、前方連合野は判断をするために仮想現実を形成する「ウソつき脳」であると考えることができるのです。
Episode8 前方連合野を損傷すると
ー突然のことに対処できないー

前方連合野を損傷したヒトの生活は、一見するとほとんど普通の状態と変わらないといわれています。
記憶はもちろん、感覚や知覚障害も見られません。
しかし、さまざまな状況下で、記憶を活用した判断が出来なくなってしまうのです。
たとえば、車に乗って会社に行こうとするとき、通勤に使っている道が事故で通行止めだったとします。こんなときは別の道を使って迂回すればよいのですが、前方連合野に損傷があるとその場でどうしてよいかわからず、立ち往生してしまうといえます。
つまり、結果を予測して適切に行動することができなくなってしまうのです。
また、計画に沿った行動をとることもできなくなってしまいます。先程の例でいえば、通勤の途中でコンビニに寄っておにぎりを買おうと考えたとします。しかし、車でコンビニまで到着したのですが、何をするために来たのかがどうしても思い出せなくなってしまいます。だが、コンビニに到着してからおにぎりを買ってくるように指示をすると、その行動を実行することができます。
ここから、いくつかの行動を組み合わせるということが難しくなることがわかります。このほか、個々によってばらつきはありますが、性格が変化する、自分の反応を抑制することができないなど、さまざまな現象がおきます。
このような現象をまとめて、実行機能障害と呼んでいますj。
つまり、感覚、記憶などの1つ1つの機能は問題がなくても、それらをさまざまな状況に応じて想像し、判断する前方連合野の機能に障害があるため、実行機能障害が起きるのです。ここからも、ウソつき脳の大切さが分かってきます。
Episode9 ものをつくりだす
ー幻覚も創造も源は同じー

これまで見てきた仮想現実の世界は、脳以外によってもたらされる例もあります。それは、幻聴や幻覚、妄想によるものです。
これらの優れた芸術作品が生まれることは少なくないです。
ロマン派音楽を代表する1人であるシューマンは、幻聴として聞こえてきた音楽をもとに遺作を残しています。しかし、それは2年前に自ら作曲した曲と非常に似ているのです。
なぜ、ほぼ同じ曲であるのに、ときとして幻聴と感じたのでしょうか。
それは、幻聴や幻覚が、前方連合野のつくる仮想現実と紙一重のところから発生するからではないでしょうか。
それがときには幻聴や幻覚と呼ばれ、時には創造と呼ばれると考えると、シューマンの矛盾も納得することができます。
また、麻薬などを使って、仮想現実を意図的につくりだすという方法もあります。19世紀のフランスでは、神経内科医シャルコーが自らマリファナを使って幻覚を起こした後に絵を描いてみることで、それが絵にどのような影響を与えるかという実験を行った。その結果、自己の意識と無意識との狭間で描かれた作品が完成しました。
しかし、この仮想現実は前方連合野のつくる仮想現実とは決定的に異なります。それは、幻覚や妄想は自ら能動的につくったものではなく、病や麻薬などを使ってつくられたものであるという点です。そこには自分の作品を見て判断し、修正して向上させていくという作業はありません。
逆にいえば、このような仮想現実を自ら極限まで高めることができるのが、一流の芸術家の条件であるといえるでしょう。
Episode10 音楽を生み出す脳
ー上側頭回と下頭頂小葉が発達しているー

芸術の中でも、とりわけ音楽家の脳はどのような構造になっているのでしょうか。19世紀を代表する指揮者兼ピアニストであったフォン・ビューローをはじめ、ヴァイオリン奏者、オペラ歌手、チェロ奏者などの脳を、死後解剖した結果、それらには共通した点が見られました。一般のヒトにくらべて、大脳の左側にある上側頭回の後方部分の約3分の2が大きく発達し、うねっていたのです。この部分は、聴覚野、聴覚連合野、ウェルニケ領野の一部を含んでいます。つまり、聴覚能力に関係する大脳皮質領域が発達していることがわかります。
さらに、下頭頂小葉の緑上回も大きく発達していました。この現象は音楽家に限らず、物理学者や天文学者の脳にも見られたといいます。これはどのようなことを意味するのでしょうか。
下頭頂小葉を損傷すると、言語、計算、絵画などの能力に障害が現れます。ここから、聴覚、触覚などの感覚情いう特徴は、聴覚などの優れた感覚を必要する音楽家たちにとって、当然ともいえます。

このような脳機構の特徴は、練習や経験によってある程度の発達はあるにせよ、生まれ持った部分が大きいです。ある実験によると、子どものうちから音楽をはじめれば、その分高音に対する聴覚野の反応は大きくなるといいます。しかし、それだけで見た目にもわかるほど大きく発達するとは考えにくいです。天才音楽家たちの脳は、生まれ持って上側頭回と下頭頂小葉が発達しており、そのため、練習や経験による伸び幅も大きいと考える方が自然でしょう。
Episode11 音楽を奏でる脳
ー脳全体で演奏しているー

次に、その音楽を奏でるときの脳の働きをみていきます。それを調べるには、脳の病によって音楽能力を失ったヒトの脳を、死後解剖してみる方法と、実際に音楽活動を行っている脳を観察するという方法があります。ここでは、後者の方で考えていくことにしましょう。
その方法の1つとして、PETスキャンという方法があります。これは、身体に害の無い程度の微量の放射性物質を血管に注射し、それが脳内で放出される場所を画像化することで、脳の血流量や神経活動が活発に行われている部分を調べるというものです。
この方法を用いて、次のような実験をしました。音楽を学ぶ大学生と教員の10人にPETスキャンを行います。
その際、いくつかの課題を出しながら、初めて見た楽譜をキーボードで演奏してもらいます。その結果を右図に示します。
ここから音楽を奏でるときの脳は、どちらかの部位が働いているのではなく、実にさまざまな部位が活動していることがわかります。特に特徴的なのは、ただ音階を聴くだけであれば、言語機能をもつ左半球側しか活動しないが、曲を聴くとなると右半球にも活動が見られるという点です。また、楽譜を見ながら曲を弾くと、両側半球の上頭頂小葉をはじめとして、実にさまざまな部位が活動します。
音楽を奏でる時には、楽譜を読む、楽器を演奏する、音色を聞くなど、実にさまざまな感覚が必要とされます。このとき、脳は1つの部位だけでは、とてもその表現活動を行うことができません。音楽とは、脳のほとんどすべての領域が活動することで、はじめて演奏することができるものなのです。
Episode12 音楽家が言葉を失うとき
ー言葉は“失えど”コミュニケーションはとれるー

音楽家が、ウェルニケ領野とブローカ領野を含む大脳皮質の左半球を損傷し、失語症となるケースもある。しかし、言葉は失っても音楽能力はあまり変化がないというケースが多いといいます。
旧ソ連にシェバリーンという作曲家がいました。彼は58歳のときに、脳こうそくによって重度の失語症に陥ってしまいます。言い間違いが多く、言葉を理解することも難しい、典型的なウェルニケ失語の状態でした。
しかし、心不全でその4年後に亡くなるまで、彼は作曲活動を続けることが出来ました。
また、2歳で視力を失ったフランスのオルガン奏者ラングレも、77歳の時に脳こうそくによって失語症を患いました。シェバリーンと同じように、高度の失語症や読み書きの能力に障害を発症しました。「チーズはお好きですか?」と質問すると、、、
「・・僕は、僕にとって大変によいもののうち最高のものがとっても好きなんです」と答えるような状況でした。
しかし,1年後には点字楽譜で作曲をはじめ、数曲を発表しました。ラングレが障害を負ったのは、音楽家にとって非常に重要な大脳皮質領域でありました。なぜ、作曲が可能であったのかは、なぞに包まれています。
いずれにせよ、これらの例は音楽能力と言語能力はある程度独立していることを示しているといえるでしょう。
しかし、音符や記号の読解など、言語的な要素を含む、音楽能力もあることから、完全に別のものであるとも考えにくいです。そして、言葉は失っても、高度な芸術活動を続けることができたこれらの例から、音楽が言葉に代わるコミュニケーションの手段となりうるともいえるでしょう。
Episode13 音楽を失うとき
ー脳の全ての領域を使って演奏している証拠ー

失語症に対して、音楽を失うことを失音楽といいます。
では、音楽家がその能力を失うとき、脳はどのようになっているのでしょうか。これまでの研究では、音楽を聴き、理解するという言語的能力を使われない場合は、大脳の右半球によるところが大きいと考えられてきました。たとえば、曲のメロディーを聴き、その曲を鼻歌で歌うなどです。
しかし、次のような実験結果もあります。左右の脳に損傷を持つ人たちに、わざと一部分を間違えた有名なメロディーを聴かせ、その間違いを指摘させました。すると、右半球に損傷をもつヒトの場合、音の高低やリズム、フレーズの間違いは指摘できなくなっていました。一方、左半球に損傷をもつヒトの場合、リズムやフレーズを指摘する能力のみ、低下が見られました。
また、左右大脳半球に脳梗塞を患った患者各15名と一般のヒト15名に「ハッピーバースデイ」を歌ってもらい、録音したものを音楽家に聴かせて、その歌唱力を採点するという実験も行われた。
その結果、一般のヒトの得点には劣るものの、脳梗塞患者の左右の脳による歌唱力の大きな差は見られませんでした。
これからも、音楽に関係するのは右半球であると断定することはできないといえます。さらに、脳梗塞などで脳を損傷しても、まったく歌えず、音も理解できないという完全な失音楽の患者はほとんど見られないという点も忘れてはならないです。音楽を聴いたり、演奏したりする際は、大脳皮質の広い範囲で活動が行われているのです。だからこそ、脳の一部分が損傷しても、残った領域がそれを補うことで、完全な失音楽とならずにすむのではないでしょうか。
Episode14 感覚・知覚・認知
外界からの情報は五感を通じて獲得され、「感覚」「知覚」「認知」が密接に関連している私たち
私たちは視覚・聴覚・皮膚感覚(触覚)、臭覚、味覚といった「五感」を通して外界の状況をとらえています。また、五感から得られた情報がどのようなものであるのかを理解し、状況に応じて反応するためには、経験を通じて獲得された多くの知識が必要です。そのような知識の多くは五感などの知覚を通して獲得されていきます。その中でも、視覚の占める役割は極めて大きく、ある種の試算では、私たちが単位時間あたりに得ることのできる情報量の80%以上が視覚によるものであるといわれています。
眼や耳などの感覚器官から環境の情報を受けて、それらを私たちに意味のあるものとして認識する過程について考える場合、心理学などの分野では、感覚・知覚・認知という用語がしばしば用いられます。
「感覚(sensation)」とは、眼や耳などの感覚器官の基本的な機能として、環境から得られる光や音などの物理化学的エネルギーを受けて、その存在を脳に伝えるといった、感覚系のみで生じる過程です。

また、「知覚(perception)」とは、感覚をもたらす環境の状態や他の情報との相互作用、過去の経験などの知識の影響を受けた比較的複雑な、感覚的情報の適切な解釈を行うための過程であると考えられてきました。しかし、感覚と知覚の境界はあいまいであり、両者を厳密に区別することは難しく、これらを区別する場合でも、その区別はあくまで便宜的なものに過ぎません。さらに、他の感覚系や運動系、そして多くの過去経験によって規定され、記憶、思考、言語などといった複雑な知識の影響を多大に受ける過程を、「認知(cognition)」といって、感覚や知覚と区別することもありますが、認知の概念自体は感覚や知覚の概念よりも広い意味をもつとともに、多義的なものです。
Episode15 「視覚」を成立させる絶対条件=光
わたしたちが感じる光の量はどのくらいのものだろうか?
「もの」を見るためには光が必要です。光があって初めて「視覚」が可能となります。ただし、「もの」を見るためには適切な量と、一定の範囲の“光”が必要となってきます。
それでは、ものを見るためにはどのくらいの量の光が必要になるのでしょうか。
明るさを表すのに、ルクス(lx)という単位を用います。このルクスはラテン語で光や光明の意味の言葉でありました。私たちが、まぶしくてもう耐えられないと感じる明るさは10万ルクス程度、ものが見えるか見えないかの暗さの限界がおおよそ10万分の1ルクス程度であるといわれています。

つまり、このまぶしさの上限と暗さの下限の差は、100億倍にもなります。人間が生活している環境において、物理的には最大でこれだけ大きな明るさの変化を経験することができるのであるが、10万分の1ルクスや10万ルクスという明るさは日常的にはあまり見られないでしょう。それでも人間の眼はこの大きな光の変化に対応できるようにできているのです。
一般的に、晴天時で約1万ルクス、曇天時で1000ルクス、日没時で
100ルクス、黄昏で10から1ルクス、月夜の場合で10分の1ルクスから100分の1ルクス、星明りで1000分の1ルクス、白い紙がぼんやり見える程度で1万分の1ルクスです。曇天時と星明りの明るさの開きでも
1000万倍ほどあり、この程度の明るさの変化は日常的に経験してるものでしょう。
なお、私たちは様々な生活環境において人工照明を用いてますが、その照明を利用する環境や目的に応じて明るさ(照度)の基準が設けられています。JISの照度基準では、学校の教室などは、200~700ルクス、会社の事務室や病院の診察室などは300~700ルクスと定められています。

JIS照度基準
Episode16 人の目が感じ取れる光の範囲
ー可視光線ー

光は電磁波の一種で、その一部が眼に見える可視光線である
光は宇宙から降り注ぎ続けている電磁波の一種です。電磁波には宇宙線、ガンマ線、X線などのように波長が短いものから、放送電波やレーダー電波などの波長の長いものまで多くのものがあります。

電磁波のさまざまな波長の中で、私たち光として感じることができる波長の範囲を可視波長または可視光といいますが、その範囲は380ナノメートルから800ナノメートル程度の範囲です。なお、ナノメートルとは10の-9乗メートル、すなわち1メートルの
10億分の1のことです。
電磁波と総称されるものの範囲全体を比べてみると、人間が見ることのできる波長の範囲は非常にせまいということができますが、このせまい範囲のわずかな波長の違いを私たちは色の違いとして認識しているのです。可視光線の中でもっとも波長が短い400ナノメートル付近の波長を菫、450ナノメートル付近を青、500ナノメートル付近を緑、550ナノメートル付近は黄緑、600ナノメートル付近はオレンジ、それ以上の長い波長は赤として知覚されます。
日焼けの原因となり、皮膚がんを誘発するとして嫌われる紫外線は可視光よりも波長が短い400から1ナノメートルの範囲お電磁波をいいますが、本来、紫は単一のスペクトルとしては存在せず、赤と菫のスペクトルの混合により生じるものであるので、菫外線と呼ぶこともあります。英語でもultrapurpleではなく、ultravioletであることからも、紫外線より菫外線と呼ぶほうが意味的に正しいでしょう。なお、赤外線は可視光よりも波長が長い約800~1000ナノメートル(1ミリメートル)の電磁波で、熱作用が大きいので熱線とも呼ばれます。
Episode17 脳の情報処理
ー視覚イメージは後頭葉にある視覚野で処理されるー

かつて、脳のはたらきについて知られたことの多くは、脳の特定の異常に関係した症例を示すケガや病気の患者の臨床研究によるものでした。脳に損傷を受けた患者の損傷部位と失われた機能の関係を調べたり、てんかんなどの治療として、脳の一部を切除する手術の結果を観察したり、脳の外科的手術の際に、電極で脳の一部を刺激して患者がどのような反応を示したかを観察したりすることで、脳にはある機能をはたすための部分が集中して分布しているという、機能局在の傾向があることが見出されました。
脳の後頭葉には「視覚野」、側頭葉上側には「聴覚野」、頭頂葉には痛覚や温度感覚や筋肉などの感覚に関わる「体性感覚野」、その他、味覚野と臭覚野、平行感覚野などの領域があり、これらを総称して「感覚野」と呼んでいます。
そして前頭葉後ろ側には随意運動に関係する領域である「運動野」があり、その下側には運動のプログラミングを行う運動前野や補足運動野などが分布しています。前頭葉、頭頂葉、側頭葉の多くの部分は「連合野」と呼ばれている部分であり、高等といわれる動物になるに従ってこの領域の割合は増加し、そこで記憶・判断・意思などの精神活動が行われていると考えられています。
また、19世紀には外科医は脳の左半球の脳腫瘍が右半身に影響すること、右半球の場合は、その逆になることも気づいていましたこれらの観察には規則性が認められたので、脳の機能は、身体の機能とは反対側にあるのだと推論されました。
現在では、CT(コンピューター断層撮影装置)、MRI(磁気共鳴画像)、PET(陽子断層撮影法)などの装置を用いることで、脳の特定部位の活動を記録できるようになり、脳が果たしている機能と脳の活動部位との関係についてさらに多くのことがわかっています。
Episode18 右脳と左脳の機能
ー右脳と左脳に別々の絵を見せると、別のものとして認識するー

半球の機能の専門性を劇的に示すものに、分離脳研究と呼ばれるものがありました。分離脳の研究とは、右半球と左半球をつないでいる脳梁という連絡組織を切断された患者を観察するものです。このような手術を受けた患者は、2つの半球の間に連絡がないため、あたかも2つの別々の脳を持っているかのように行動しました。したがって、一方の半球による経験や学習が他方の半球が行うことに対して、影響を与えないというものです。
このことに関して、レビィ、トレヴァーセンとスペリーはたいへん興味深い研究を報告しています。彼らは脳梁を切断された患者に右ページの図のような右半分は男性、左半分は女性となっている顔を提示しました。女性の顔は視野の左側にあるので、脳の右半球で処理され、男性の顔は右側にあるので、脳の左半球によって処理されます。この刺激が、提示されたとき、その患者はこの合成された顔が変だということに気がつかなかったのです。そしてどんな顔であったかを言葉で答えるように尋ねると、左半球で処理された情報に基づいて男性の顔であったと述べました。一方、他のたくさんの顔の中から見たものを選ぶようにいわれると、右半球で処理された情報に基づいて、女性の顔を選んだのです。このような結果は、患者の2つの半球は連絡を取り合うことができず、言語的な反応をするためには左半球の機能が使われ、絵などの情報を処理するためには右半球の機能を使われることを示すものと考えられます。
右半球と左半球の機能の違いは、他の様々な認知的機能でも見出されています。右ページの表はそのいくつかを示したものです。一般的に、複雑な幾何学パターン、パターンの動き、言語によらない記憶、顔などの感覚刺激は主に右半球で処理され、他の抽象的な家庭は左半球で処理されているようです。
Episode19 脳と認知
ー脳細胞の役割分担は決まっているが、そこから意識内容や意味がどのように形成されるかは今後の研究課題であるー

私たちの様々な認知的活動や意識、そして感情などを生み出しているのは脳という器官であることは間違いないでしょう。その脳の中では1000億個もの脳細胞が活動しているのですが、個々の脳細胞は特定の刺激に対して選択的に反応し、他の脳細胞に情報を送るということだけを行っています。
私たちが何かを感じたり考えたりするときに、特定の脳細胞の活動が寄与していることは事実なのですが、ある特定の脳細胞の活動を記録することで、その意識内容がりかいできるわけではありません。単一の脳細胞の生物学的構造や、反応のメカニズムなどについては、現在の科学的な方法によって多くのことが知られており、近い将来、ハードウェアとしての脳のすべてがあきらかになるかもしれません。しかし、現時点では脳の細胞の活動や、視覚野などの領域の活動からどのようにして私たちれの意識内容が生み出されるのかは、ほとんどわかっていないのです。
私たちが何かを見た時に、その情報は網膜から視覚野に送られ、そこで多くの脳細胞により形や動きが解析されるのですが、そのメカニズムは基本的にはだれでも同じで、明らかな一連の処理を経て行われています。しかし、あるものを見たときに意識される印象や反応の仕方は人によって様々であり、まったく逆の反応を示すこともめずらしいことではありません。視覚野で処理された情報は、記憶などの情報に照らし合わされて解釈され、適切な判断や行動をするために利用されます。ある視覚的な刺激に対する印象の違いや反応の違いは、個別的な記憶や知的背景、文化、さらにこのみなどといった認知的な差異をかたちづくる脳というシステム全体から生じてくるものと考えられます。