心に残る今月の一冊

塩井純一

「わたしリセット」田嶋陽子著、文藝春秋、2024年刊

著者、田嶋陽子は1941年生まれ、40代までは法政大学で教え、49歳の時に初めてテレビのバラエティー番組に出演、60歳の時に参議院議員になり、65歳からシャンソンや書アートの活動もしているそうです。本書は彼女の自伝的随筆でしょうか。因みに1946年生まれの私より5歳年上になります。

母との葛藤に苦しみ、46歳で初めて母親にNOを突きつけ自己が解放されたと言います。私自身の母親離れが、嵐の如き思春期真っ只なかの13~14歳時だったのに比べ、じつに30歳以上もの時間遅れであり、彼女の人間形成・人格形成に脳科学者としての興味を覚えました。父親の兵役召集に伴い、戦中から戦後にかけ母娘だけで疎開した時の、食べ物を巡るみじめな体験、当時2~4歳での体験が彼女を強くしたように思えます。「三つ子の魂百までも」です。更に、小学校高学年時か、母親が当時治療薬の無かった脊髄カリエスにかかり、数年の寝たきり生活を強いられます。病床に横たわり、死を覚悟したような母親のしつけに逆らえず反抗期を逃したのは、成長心理学的には大きな影響を与えたのではないかと考察します。私にとって、思春期のダイナミックな脳・神経回路形成は興味深い研究分野であり、関心があります。しかし思春期・反抗期に、母親から「勉強して自立しなさい」と言われながら、「嫁にゆける女らしさ」も求められ、この相反する要求に対し、拒絶する機会を失ったことで、その矛盾相克が、その後の彼女の強烈な生き様を生み出したのではないでしょうか。

テレビ番組「笑っていいとも」(1990年)で「女性差別」反対論者・フェミニスト論客として出演、見知らぬ視聴者からは応援を受ける一方、身近な母親や、フェミニスト仲間、更には元の指導教官にまで非難・批判されたのには、当時はそうだろうなと思わされました。その後「ビートたけしのTVタックル」にレギュラー出演(1991年から10年余り)するようになります。テレビ局側としては、議論で彼女を挑発し怒らせることで、視聴率を稼いでいたようですが、それでもへこたれず、おじさん男多勢の中で孤軍奮闘して「女性差別」を告発してきたのは凄いし、痛快ささえ感じます。でも「女らしくない」と女の人からは嫌がれたそうです。「女の敵は女」の構図で、「たったひとりのフェミニズム運動だった」「テレビに出ることが、私にとってのたったひとりのデモ活動だった」と述懐しています。「私がバカにされたり笑われたりしたのは―――『権利を主張する女なんて、ブスで結婚もできない女』という世間のイメージにぴったりだったからかもしれません」とまで自虐的に分析しつつも、それをぶち壊そうとし、実際ぶち壊した彼女の破壊力に驚嘆・称賛です。学者が本を書いて出版してもせいぜい数千部、大学で講義しても、数十人から数百人、でもテレビでは「TVタックル」で視聴率が20%を超えたことがあり、これは2000万人が見ていたことになるそうで、その影響力を理解し、図らずも利用した感があります。

その後、国会議員を一年半務めるのですが、もう少し頑張ってもよかったのではないか、続けるべきだったのではと思います。65歳でシャンソン歌手は冗談の感がありますが、70歳から始めた書道は、個性的で強く訴えるものがあり、新美展で新美大賞を受賞しており、それに値する力量と評価します。「男らしさ」も「女らしさ」も脱ぎ捨てましょう。「自分らしく」も止めようとまで言い出し、「自分」を、「自分そのもの」を目一杯生きろ、「わが・まま」に生きろと提唱しています。はい、私もその境地に至りつつあります。

「天路の旅人」沢木耕太郎著、新潮者、2022年刊、感想文第一弾

西川一三(1918~2008)は、日中戦争/大東亜戦争末期、25歳時にスパイ・密偵としてラマ僧になりすまし、中国の奥地に潜入、チベットに至ります。終戦/敗戦を知った後も巡礼者としてインド亜大陸を巡ります。西川本人による『秘境西域八年の潜行』(初版1972年、2巻本;新版1978年、3巻本)が出版されていたのですが、彼の死後、本著者の沢木耕太郎は3,200枚の生原稿が元出版編集者の手元に残っているのを発見します。何か所もの削除により、既版本が分かりにくく、つながりが悪かった事を知り、また誤植も見つけます。生前(89歳で亡くなる10余年前)の一年に亙った西川とのインタビュー記録と突き合わせ、彼の八年に及ぶ旅が立体的に見えてきたことで、足掛け25年をかけて本書『天路の旅人』を完成させるのです。西川自身の手になる上記本との差別化について「あとがき」で「私が描きたいのは、西川一三の旅そのものではなく、その旅をした西川一三という稀有な旅人なのだ」と書いています。

しかし私にとっては壮絶とも言える「旅そのもの」が圧巻です。何しろ密偵として、蒙古服に身を包み、夜陰に乗じて個人的に知り合った3人のラマ僧に遣いてゴビ砂漠へ乗り出すのです。ラマ僧が買い取った漢人の少年と荷物を載せた7頭のラクダを曳きながら歩き続け、夜は携帯の天幕/テントを張って寝ます。炊事の燃料は、乾いた家畜の糞なのですが、これを集めるのも一仕事。吹雪にあったり、寒さで革製のテントが畳めなくなったり、河の凍結で滑るのを恐れるラクダの渡河に苦労したりと様々な困難を経て一月程で、最初の目的地「定遠営」にたどり着きます。同行者と別れ、また日本との連絡もままならない中、郊外にあるバロン廟でラマ僧になりきって自活生活を始めるのですが、一年足らずで切り上げ、更に徒歩で西に向かいます。砂漠あり、山峡あり、橋などない川渡りなどの20日間ほどの、以前にも増しての難旅でタール寺にたどり着きます。その後のチベット行やヒマラヤ山脈横断で更なる困難に遭う様や、インド、ネパールでの托鉢僧としての放浪生活の描写に引き込まれます。生活の為の行商(実は煙草などのチベット―インド間での密輸業)もあり9度もヒマラヤを超えており、その際の猛吹雪下で死にかかってもいます。ドキュメント作家、沢木耕太郎の面目躍如の記述・記録です。日本を棄て、日本人を棄て、寄る辺ない蒙古人の托鉢僧として生きようとする西川には、私が中学生時代に小説で読み、映画でも観た「ビルマの竪琴」の水島上等兵を思わされものがありました。敗戦に伴う日本帰還を拒否、彼の地で斃れ、野に朽ちる累々たる日本兵の亡骸を目にして、彼らを弔うために出家し、彼の地のビルマ僧として生きる物語でした。しかし、西川の場合は1950年(当時33歳)、知り合いの日本人密偵が自首した際の密告により不法滞在者として逮捕され、日本に強制送還されてしまうのです。

「序章」の後、全15章が続き「終章」で終わるのですが、「序章」「第一章 現れたもの」と最後の「終章」で、著者と西川一三との出会いや、その後のインタビューの経緯・内容の語りで、西川一三の特異な人間像を描き出しています。インタビューの申し出に「私には休みというのがないんです。元日だけは休みますけど、一年三百六十四日は働く。誰かのために特別に休んだり、時間を取るというわけにはいかないんです」「では、午後五時以降ならお会いいただけますか」といった電話でのやり取りの後、一年に亙り月一度週末の夕方、盛岡市のビジネスホテルの和食店で会うことになります。西川自身の上記の本が出た数年後、東京放送(現TBS)のテレビ番組で西川の歩いた土地を辿りつつ旅をするという全四回の番組が放映されたのですが、その企画段階でプロデューサーに同行を求められるも、仕事があるので休めないと断ります。出演料は、何カ月分もの稼ぎに匹敵する額が提示されたにもかかわらずです。金とか物、更には他人の評価さえ捨て去っているように伺えます(「命もいらず 名もいらず」の西郷隆盛的精神を思わせます)。著者がその件をインタビューで取り上げ、何故と問うたのに対し「一度行ったことがあるところにまた行っても仕方がありませんからね。行ったことのないところなら別ですが」と答えます。私は、これは表面上の言い訳で、実のところは、日本人であることを隠して、偽ラマ僧として托鉢して喜捨を受け取ったり、3カ月の修行で会得した御詠歌を吟じて地方の名士・名家に歓待してもらったりと、現地の人々を騙しながら生きてきた事が、彼の地で露見するのを恐れた、或いは恥じたのではないかと邪推しています。とは言っても、日本人の告げ口さえなければ、本人自身は蒙古人ラマ僧として生きる、生ききる積りだったではないかと思われ、日本に強制送還された悲運の悲しみ・辛さが伺われます。西川は盛岡で化粧品卸売りの個人店主として85歳まで働いているのですが、まるで蒙古ラマ僧が日本人西川一三と偽り地方に隠れ住んでいるかのような印象があります。かってインド・ネパールで、日本人であることを隠し、蒙古人ラマ僧として生きてきた、その後も生きようとした、その逆バージョンです。そんな彼の人生観・世界観にもう少し切り込んで欲しかった気もするのですが、ドキュメンタリー作家の沢木耕太郎としては、聞かれない限り、自分の意見を滅多に言わなかった西川の考えではなく、実際に彼のなしたことを検証し、事実を記録呈示することにより、読者自身が、稀代の旅人西川一三の特異な人物像・世界観を見出し、更には学んで欲しかったのかもしれません。少なくとも、その一読者である私には学ぶこと大でした。

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