塩井純一
「沈黙」遠藤周作著、新潮社、1966年刊
江戸時代鎖国下の日本に渡り、捕えられるも殉教者にはなりきれず、転びキリシタンとなるポルトガル人司祭セバスチャン・ロドリゴの物語。「殉教」の英雄的とみなされる行為を乗り越えなければならなかった「転び」の苦しみ・絶望的な悲しみを深く洞察し、文学に昇華していると思いました。キリスト教の「殉教」精神について理解を深めると共に、強固な狂信性には怖さも感じました。その点では理不尽とも言える日本側の弾圧を体現する、奉行井上筑後守の日本の風習・秩序を守ろうとする言い分には納得できるものがあります。西欧による当時の全地球的規模の帝国主義的侵略・植民地化の流れの中で、この頑なな鎖国政策とキリスト教の禁教が日本を守ったのは歴史的事実ですから。ロドリゴの苦しみは、ある意味、聖職者としてのプロの生き様として判る気がするのですが(この私でも、研究の為には斃れることがあっても本望という想い、決意がありましたから)、他方貧しい百姓や漁民の信者が隠れキリシタンとして、死を賭してまで信仰を守ろうとした強固な精神性がどこからくるのかが大きな謎として残りました。彼らと対置させて、厳しい仕置きに怯え、或いは耐え切れず、何度も踏み絵を受け入れる、節操のない漁民のキチジローを登場させているのですが、この臆病者こそが普通の当たり前の人間だと思います。
「宗教と生命」池上彰、佐藤優、松岡正剛、安藤泰至、山川宏著、
角川書店、2018年刊
2017年8月から始まった連続シンポジウム「激動する世界と宗教 私たちの現在地」の第三回目(2018年3月)の講演録を基調にし対論・討論集です。因みに第一回が「宗教と資本主義・国家」、第二回が「宗教と暴力」でこの第三回が「宗教と命」でした。ジャーナリストの池上彰、作家・批評家の佐藤優、編集工学の松岡正剛、宗教学・生命倫理の安藤泰至、人工知能研究者の山川宏と異なる分野・経歴の講演者が多角的な主張・議論を展開しています。宗教の正体・謎に総合科学的に迫ろうとしているのですが、むしろ謎は深まり、来るべきAI(Artificial Intelligent)社会ではむしろ宗教の価値・重みは増すのではないかの印象を受けました。AIが人間の知識や知恵を代替えする一方、AIがまだたどり着けていない「こころ」とか、知・情・意の「情・意」の比重が大きくなり、そこでは「神」を想定する「宗教」の役割も高まりそうです。これを脳科学的にどう捉え、理解するかはますます難問になるのではないかと脳科学者として考え込んでいるところです。
「人類の起源、宗教の誕生」山極寿一、小原克博著、
平凡社新書、2019年刊
霊長類学者の山極寿一と宗教学者小原克博の対談。AIの出現によって『知能』と『意識』が切り離される中で、生身の身体を持たないAI では『人間の生きる意味」は出てこない、そういう『意識』がヒトの特異性・独自性として認められると議論が展開してゆきます。キリスト教、イスラム教、仏教の世界の三大宗教のいずれもが、紀元前数百年前後の起源をもち、同時期にソクラテス、プラトン、アリストテレス等による思想・哲学や、ピタゴラス、アルキメデス等による科学を生んだギリシャ文明・文化が栄えているところから、私はどちらも文明発展のある段階で生まれるべく生まれたと想定していたのですが、『宗教』は文明発祥の遥か前に遡れることを知りました。現人類のホモサピエンスが6~7万年前に言葉を獲得し、社会性を拡大する中で『宗教』が生まれたと言えそうです。思考が言語化されることにより、『知能』『意識』、その中でも特に知的好奇心が飛躍的に高まると共に、この世界(この世)や宇宙の謎が深まっていったと思われます。それに対し、全知全能の神を仮想・想定することで心・精神の安定を得たのではないかと理解します。神に祈り、すがることで生存を脅かすような圧倒的な災害や絶望的な病苦から逃れられるという希望を必要とし、期待したのでしょう。実際、数万年前に残したと思われる洞窟壁画に、シンボリックなものや、想像上の動物も描かれており、何らかの信仰を感じます。例えばライオンマンの彫像は3万年くらい前だそうです。 山極氏は、人間が言葉を持つ以前から、宗教のようなものを持ち始めていたと、人類学・比較霊長類学からの議論を展開をしています。確かにプレ宗教みたいな段階はあったに違いなく、例えばホモサピエンスの埋葬は考古学的に10万年前迄遡れるようですが、発掘例が増えれば更に遡れるかもしれません。対談後の補論では、言葉によってつくられたロゴス(宗教も含む)から零れ落ちていくものについて語っています。「ゴリラとの付き合いから、言葉を持たない会話が、いかに互いの信頼を紡ぐものであるかーーー。言葉によって情報を得て、理解は進むかもしれませんが、信頼は置き去りにされています」と『身体感覚』の重要性を主張しています。これは、今回の課題本「利己的遺伝子 利他的脳」で取り上げられた『利他』や『共感』の議論につ