新春 心に残る今月の一冊

塩井純一

「祖国とは国語」藤原正彦著、新潮文庫、2006年刊

「国語教育絶対論」に加えて、「いじわるにも程がある」と題したエッセイ集、家族旅行の「満州再訪記」と三つの異なる趣旨の合体本の感があるのですが、それぞれ読ませます。最初の「国語教育絶対論」が本書のタイトルに掲げた「祖国とは国語」をかなり鋭く、また激しく論じています。「小学校における教科書の重要度は、一に国語、二に国語、三、四がなくて五に算数、あとは十以下」とまで言うのです。「国家の根幹は、国語教育にかかっている。国語は、論理を育み、情緒を培い、すべての知的活動・教養の支えとなる読書する力を生む」「言語とは文化伝統であり民族としてのアイデンティティー」の主張には、脳科学者として私も強く同意します。六百万年~七百万年前に原始“人類種”が現れて以来の進化の末に、我等ホモサピエンスが二十数万年前に出てきたのですが、六万年前頃の「言語」の獲得により、他にもいた“人類種”、ネアンデルタール人やデニソワ人を圧倒し、唯一生き残ったのです。この「言葉」を武器に、古代文明を築き、その延長上に現代の高度情報化社会を実現したのです。現存の言語だけでも数千、消滅した言語も含めると数万もあるのは不思議で、脳科学的な解明は未だしなのですが、それら言語に付随した多様な文化は人類史上の宝と言えるでしょう。日本文化の特性は日本語無しには語られませんし、他の文化では到達しえない、新たな思想・人生観・世界観を呈示しうる可能性をも秘めています。本読書会でも取り上げた「声に出して読みたい日本語」の著者、齋藤孝が本書最後に解説を寄せているのですが、「ああ、この人に、文部科学大臣になってもらいたいと」とまで言わしめています。

 他方、日本語に顕著に見られる敬語などは、年功序列やら家父長制、更には天皇制の強化を促し、ついに軍部の横暴を許し、アジア・太平洋戦争での敗北に導いた歴史的罪科の基盤の感もあります。私の忌み嫌う日本社会の同調性・同調圧力も日本語自身、日本語表現とも結びついてるように思います。これらネガティブな側面の考察に欠けているのが少し物足りませんでした。前に平野卿子著の「女ことばってなんなのかしら?」の感想文を書いたときにも話題にしましたが、日本語自身に「男尊女卑」の社会観が埋め込まれている面もあります。しかし「女ことば」のたおやかさ、優美さを「男尊女尊」と捉え直すことも可能、或いは必要なのではないかと考察します。西欧社会に慣習化されている外面的な「レディース・ファースト」に優る内面的価値観を「女ことば」は内包していると愚考しており、この「女ことば」に限りない愛(母性愛とも通じるような心の安らぎと愛おしさ)を感じる私としては是非残して欲しいのですが、「男」の独り善がりなのでしょうか。

「深い河」遠藤周作著、講談社、1993年刊

「一章 渡辺の場合」、「三章 美津子の場合」、「四章 沼田の場合」、「五章 小口の場合」等何人かの登場人物の、それぞれのストーリーが語られるのですが、個々の人物像の描き分けが見事です。後半に入り、彼らがインドへの団体観光旅行の参加者として時間を共にしてくるのです。その中で「十章 大津の場合」は全十三章の最後の方に設けられてはいるのですが、既に三章で登場しており、主に美津子の目を通して語られる大津のキリスト教者としての苦悩・生き様が中心テーマと理解しました。仏文科の大学生だった美津子が、同じ大学の哲学科に在籍するキリスト教信者の大津を誘惑し、いたぶるのです。美津子は根っからのいい加減な女・悪女というのではなく、彼女なりの心の屈折を抱えているのですが、彼女の悪友・男友達にそそのかされ、生真面目な大津を翻弄するのです。しかし結婚まで考え、思いつめる彼をゴミ屑の如く、又あざ笑うように、捨てます。その後、美津子は功利的打算で金持ち息子と結婚し、新婚旅行のフランス行きで、リヨンの修道院で神父になるべく修行中と聞き知った大津を思い付きのように訪ねます。そこで大津の苦悩を伺い知ります。彼の汎神論的なキリスト教観が受け入れられず、むしろ危険視され、排除されようとしていたのです。美津子はその数年後離婚し、上述のインド行きツアーに参加したのですが、そのインドで大津に再会します。彼は当地のキリスト教会組織からは締め出されるも、異端神父として、不可触民とも呼ばれるアウトカーストの死体運びをしていたのです。ヒンズー教に基づくカースト制からも外れたアウトカーストであっても聖なるガンジス河で死ぬことだけを最後の望みにして、この地にたどり着いているのですが、息絶え絶えの老婆を背負いながら、大津が「あなたは背に十字架を負い死の丘ゴルゴダをのぼった。その真似を今、やっています」と「玉ねぎ」こと主イエスに祈り呟く場面が私に強烈な印象を残しました。

遠藤周作70歳時の作品、73歳で亡くなる晩年の作であり、彼の思想の総決算だったのではないかと思います。本作での大津の大学生時代から始まる思想的・宗教的苦しみは、同じくキリスト教者だった著者自身の思想遍歴を綴ったのではないかと思います。キリスト教、更には宗教に対する私の年来の疑問・疑念に分かり易く答えており、私の宗教観・人生観を揺さぶっています。

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