塩井純一
「バカの壁」養老孟司著、新潮新書、2003年
「まえがき」で「人生でぶつかる問題に、そもそも正解なんてない。とりあえずの答えがあるだけ」と書いているのですが、多いに同意、続く「一つの問題に正解が一つというのが当然—本当にそうか、よく考えてもらいたい」「この本の中身も、世間のいう正解とは違った解をいくつも挙げている—皆さんの答えがまた私の答えとは違ったものであることを期待」の展開に、多いに挑発されました。
第一章「バカの壁とは何か」に続く小見出しは「『話せばわかる』は大嘘」とえらく挑発的です。妊娠から出産までを追ったドキュメンタリー番組を見た時の、女子学生と男子学生の理解の顕著な違いを挙げて「わかる」内実を問うています。男子学生の場合、自分が知りたくないことについては自主的に情報を遮断している。ここに壁が存在。これを一種の「バカの壁」だと解説、この「バカの壁」が戦争や地域紛争、人種間対立を生むとしています。私に言わせると、だからこそ「話さなければならない」と展開すべきなのではないかと強く感じます。そもそも現人類(ホモ・サピエンス)が、生物界の生存競争の頂点に立てたのは、言葉・言語を獲得して脳と脳を繋いで共同作業ができるようになったからです(私は「集団脳」と名付けています)。人間一人一人の脳はみな違っていて一つとして同じ脳は無い以上、「話さなければわからない」が前提・基準なのです。卑近な例で言えば、私は若い時分、日本社会での議論を避け、沈黙を強いるような従順性・「長いものに巻かれろ」・同調性に我慢できず、ここアメリカに来て、言いたいことを言える文化・社会に解放され、感激した体験を持っています(ただカミさんには、「非常識」「空気が読めない」といつも怒られていました)。確かに「話してもわからない」場面・状況は多々あるにしても、それでも「話さなければわからない」を実感してきました。更に言えば「みんな違って、みんないい」と繋がる訳で、更に積極的に「みんな違っているからこそ、みんないい」のであり、今や地球上の全80億の脳が「話す」ことで繋がりつつあり「地球脳」ができつつあることの凄さを、80億分の1として誇りに感じているのです。
また「神」とか「宗教」を論じているのが興味深かったです。キリスト教、ユダヤ教、イスラム教といった一神教においては「本来、人間にはわからない現実のディテールを完全に把握している存在が、世界中でひとりだけいる。それが『神』である。この前提があるからこそ、正しい答えも存在しているという前提が出来る」のに対し、「私たち日本人の住むのは本来、八百万の神の世界です。ここには、本質的に真実は何か、事実は何か、と追及する癖が無い。それは当然のことで、『絶対的真実』が存在していないのですから」との解説に、なるほど西欧化される前の日本は花鳥風月を詠み、複雑怪奇な自然のあるがままを受け入れる世界観・文化だったと思い当たります。西欧が、ただ一つの解を求めるような科学を発展させたのに対し、日本や農耕民のアジア人社会が、自然の多様性をあるがままに受け容れ、それに理屈を付け説明するような科学に関心を持たなかった歴史的事実が腑に落ちた気がしました。
後の方の第四章「万物流転、情報不変」では進化の過程で人間の脳の巨大化に伴い、その機能を維持する為に外からの刺激に依存せず、刺激を自給自足するようになり、「考える」ようになった。この活動が「神」を生み、「科学」を生んだという解釈は超特異で、驚かされました。何故なら、我らホモ・サピエンスの脳容積増大は4万年前頃に止まっており(「集団脳」の形成により、個々人の脳を大きくする進化的圧力が失われたと私は解釈しています)、他方「自給自足」的に「考える」、即ち思索するようになったのは、農耕や牧畜を発明した1万2~3千年前頃と私は想定していたからです。しかし言語を獲得した6~7万年前頃に既に「考え」始めていたのかもしれません。それがやがて自然を操作・改変する「農耕」「牧畜」の大発明を促したとも考えられます。ただ我らホモ・サピエンスと同時代を生きたネアンデルタール人は我らより脳容積は大きくなったことが知られており、彼らが我らよりもっと「考え」ていたのかどうか興味深いです。言語を獲得した我らホモ・サピエンスが仲間同士でグルになって、知的には優秀だったネアンデルタール人をいじめ殺し、4万年前には絶滅させたかと思うと心が痛みます。彼らは思索のヒトでありながら、でも言語を獲得しなかったので仲間を集めて集団で対抗することができなかった、言い換えると孤高の「単脳」では我らの「集団脳」に太刀打ちできなかったという事になります。「単脳」ネアンデルタール人の無念さを思えば、「集団脳」の我らホモ・サピエンスは80億の英知を集めた「地球脳」形成により、この宇宙に稀有な地球号を救う使命があると思うのは、私の妄想でしょうか。「ウクライナ対ロシア」「イスラエル対ハマス」のように武力でお互いを殺しあっている時間があるのか、「恥を知れ」です。