現生人類を語るうえで、骨格・皮膚・毛髪などの遺伝的・形質的特徴によって生物学的区分としてコーカソイド(白人)・モンゴロイド(黄人)・ニグロイド(黒人)、オーストラロイド(オーストラリア先住民)などに分けられることは、よく知られています。
しかし、近年は人種主義的であるとの批判もあり、人類は自然的な集団構成として文化人類学的には、人種概念の無効性が一般化されています。
しかし、人類の進化を語るうえで今回は生物学的区分を利用しますが、人種的差別の意味合いは一切ないことを申しあげておきます。
さて、系統樹(人類アフリカ単一起源説モデル)にあるように、人類は最初にアフリカ人とその他の集団が分岐し、次にヨーロッパ人とその他の集団が分岐したという説が一般的です。その次に東・東南アジア人とオーストラリア人が分岐し、最後の大きな分岐として東・東南アジア人とアメリカ先住民が分岐したと言われています。
これらの進化の過程と特徴は、この系統樹で見られるのと同じように、従来のタンパク質多型や最近の核DNAの多型によって明らかにされた人類集団間の系統関係とも大筋において一致しているのです。
元来ひとつの大陸のみに生息する生物は、絶滅してしまうと言われています。
それだけでなく、人類のように複雑な生物は、バクテリアのような単細胞生物に比べると非常に弱い生物でもあるので、絶滅する宿命にあった生物と言っても過言ではないでしょう!
しかし地球上で、ある大きな変化が生じたことをきっかけに、人類は収得した知識を携え、地球全土へと移動を開始し、移り住んだことで絶滅せずに進化しつづけ、今の原生人類へと発達したのです。
実は“氷河期”が私達の絶滅を防ぎ、人種を分けたのです。
https://www.nhk.or.jp/special/jinrui/
アフリカ大陸とアラビア半島の間の海面が、凍結したために低下し、人類にとって未知の世界の扉が開かれたのです。
おそらく数百人ほどの小さな集団が、いかだに乗りアラビア半島を目指して狭い海峡を渡ったと考えられています。
人類が、まとまってアフリカから脱出したのは、この一度だけなのです。
それ以降、世界に移り住んだ全ての人類は、この小さな一団を祖先としているのです。
新たな地では、氷河期によって人間の集団学習の限界が試されたのです。
極限の寒さの中、人間は生き延びるために、ある画期的な発明をしました。
頭からつま先までを覆う衣服を考案したのです。しかも、針と糸で縫い合わせたのです。
それが分かったのは、5万年前、ロシア・アルタイ山脈のデニソワ洞窟に、私たち現生人類ホモ・サピエンスともネアンデルタール人とも違う、遺伝学的に言って第三の人類であるデニソワ人によって作られた針が発見されたことから分かってきたのです。
また、そこで発見された針には糸を通す針穴もちゃんと作られており、それが、5万年前に作られたことが放射性炭素年代測定によって明らかにもなってもいるのです。
ちなみに、このデニソワ人は日本人のルーツとも言われ、日本人の2人に1人はデニソワ人のDNAを持っているのです。
デニソワ洞窟発掘調査のリーダーであるマクシム・コズリキン博士によれば、この針の長さは7.6cmで鳥の骨から作られていたそうです。
だが、衣服を纏うことで、ビタミンDを生成できなくなってしまったのです。
これによって日光を充分に浴びられるよう…肌の色が明るくなっていったわけです。
一方、集団学習を語るうえで忘れていけないのが、ネアンデルタール人のことです。
ネアンデルタール人は、1856年にドイツのネアンデル谷で男性の化石が見つかったことから地名を取って名付けられました。
かつて、ネアンデルタール人は私たちの直系の祖先であると考えられていましたが、私たちホモ・サピエンスに至るまでの過程にネアンデルタール人の特徴が少なく、証拠不十分なことから、現在ではネアンデルタール人は直系の祖先ではなく、その遺伝子を受け継ぐ兄弟のような種であるとされています。
2011年、スペインのマスパロマスで、有史以前からある洞窟の中で3人の遺体が宗教儀式のように腕をたたみ、綺麗に並べられた状態で発見された。
調査の結果、埋葬されていたのはネアンデルタール人で、埋葬の様子から何らかの宗教があったのではないかと考えられているのです。
このように族生で群がり集団化しつつ、絶滅と誕生を繰り返し、変容しながら発展していったのが、今日、私達が人種として捉えている人間の区分なのです。
厳しい氷河期に阻まれながらも、人間は環境に順応し、新たな土地へ向かいました。
海面の低下により現れた地峡を使い、シベリアから北アメリカ大陸へ渡って行ったのです。
紀元前1万年頃には、氷河が解け始め海面が上昇して、シベリアと北アメリカを繋ぐ地峡が海に沈み、アメリカ大陸が切り離されました。
ベーリング地峡に海水が流れ込んだことで、アメリカへ渡った人々は、その地に閉じ込められることになったのです。
こののち何千年にも渡り人間たちは各大陸で、まるで、別々の惑星にいるような発展を遂げるのです。
しかし、人種や共住する土地に関わらず、彼らの歴史には、やがて様々な共通点が現われてきました。族生は帝国を建設しました。ピラミッドの建造、新たな技術の習得、こうして人間たちは次のステージへと進化しながら、運命に導かれ、現代世界へと突き進んでいったのでした。
人類が集団学習能力を発展させた時代は、氷河期を生き延びる道具を生み出しました。
氷河が後退するに連れて、人間は地球の隅々まで広がっていったのです。その一方で、この大移動は人間の破滅を招く危険性をはらんでもいたのです。
野生の動植物の狩猟や採集を生活の基盤していた狩猟社会(Society1.0)の時代は、人間の数が増えることによる食糧不足を生み出しました。
食料を奪い合うために人間同士が狩猟以外に戦うようになったのです。
その解決策を生み出したのが、農耕社会Society2.0なのです。
人類の生き方に革命をもたらした最も大きいターニングポイントともいえる文明の幕開けともなった農耕社会(Society2.0)・・・。
それまでの食料を探して狩猟しながら移動する生活をやめて、いよいよ親しい人同士で定住を始め、種族を形成し助け合い、子孫を増やし養い、年長者を敬い介護する。
現代と同様な家族が形成され誕生していったのです。