節分の日には豆まきしたり、恵方巻を食べたりしますよね。
さて、この節分は立春の前日になりますが、でも節分という日は、実は年に4回あるのです。
本来は「立春、立夏、立秋、立冬」の前日をすべて節分というのですが、節分とは本来、「季節を分ける」つまり季節が移り変わる節日を指し、立春・立夏・立秋・立冬それぞれの前日が節分になるので1年に4回あるということになる訳です。
ところが、日本では立春は1年の“はじまり”として、とくに尊ばれたため、次第に節分といえば春の節分のみを指すようになっていったのです。
国立天文台の話では、今年の節分は、124年ぶりの「2月2日」になるそうです。
節分の日が「2月3日」でなくなるのは1984年(昭和59年)2月4日以来、実に37年ぶりので「2月2日」になるのは1897年(明治30年)2月2日以来、なんと124年ぶりのことなのです。
ついでに、2025年から4年ごとに再び2月2日になり、2057年と2058年は2年連続で2月2日になるそうです。今世紀の末にかけて2月2日になる頻度が高まる傾向にあるということです。
これに合わせて、節分の日がいつになるかを決める「立春」もまた、日付が変動するということになります。
立春は春分や秋分と同じで、二十四節気(にじゅうしせっき)のひとつで、二十四節気は、太陰暦を使用していた頃、季節を表すために1年の太陽の黄道上の動きを24等分して約15日ごとに分けて季節を表す目安としたものです。
それぞれの節気は、皆さんもご存知の通り、天候や生き物の様子で表されていました。
では、なぜ立春が移るのかといえば、これは“うるう年”が存在する理由にも通じているのです。
1年といえば365日というのが常識のようですが、地球が太陽の周りを回るのには、正確には「約365.2422日(およそ365日と6時間弱)」かかっています。
このため、4年に1度“うるう年”を設けて調整しているのです。
つまり、1年ごとに「365.2422日」と「365日」の差の分だけ、約6時間ずつ遅くなる一方“うるう年”には4年前より少し早くなるという訳です。
現在の新型コロナウィルス感染拡大の影響を受け、介護施設でも今までと違った対応、行事の在り方について日々模索しているようです。
認知症の方や障害者の安心安全を第一に考え介護していることを思うと頭が下がります。
昔は、立春を1年のはじまりである新年と考えていたので、節分は大晦日にあたることになります。
平安時代の宮中では、大晦日に陰陽師らによって旧年の厄や災難を祓い清める「追儺(ついな)」の行事が行われていました。
室町時代以降は豆をまいて悪鬼を追い出す行事へと発展し、民間にも定着していきました。
令和時代は、新型コロナを“悪鬼”として、“豆まき”に代わり“ワクチン接種”が始まるというのも皮肉な巡り合わせではないでしょうか!
ところで、悪鬼がもたらす厄を祓い清める陰陽道には、鬼門という方角があり、昔は、北東「丑寅の方角」っていわれていたため、鬼は牛の角があってトラ柄のパンツを履いている訳です。ちなみに鬼の色にも意味があるのです。
赤鬼・・・悪い心全て。
青鬼・・・貧相な心。
黒鬼・・・疑心。
黄鬼・・・甘えの心。
緑鬼・・・おごり。
節分には豆をまきますが、これは中国の習俗が伝わったものとされています。
豆は「魔滅(まめ)」に通じ、無病息災を祈る意味があります。昔、京都の鞍馬に鬼が出たとき、毘沙門天のお告げによって大豆を鬼の目に投げつけたところ、鬼を退治できたという話が残っており、「魔の目(魔目=まめ)」に豆を投げつけて「魔を滅する(魔滅=まめ)」に通じるということです。
悪鬼である新型コロナを魔滅=ワクチン接種で滅ぼし、無病息災を祈願いたしましょう。
不思議なことに、豆まきに使う豆は炒った豆でなくてはならないそうです。
なぜなら、生の豆を使うと拾い忘れた豆から芽が出てしまうと縁起が悪いからだそうです。
新型コロナワクチンは不活化ワクチンで、生ワクチンではないのです。
ある意味、炒って生成されるものですし、「炒る」は「射る」にも通じ、ワクチン接種は注射ですから、変な韻も踏んでいると言えますね!なにやら…節分を境に中国から伝わってきた豆まきで、新型コロナウィルスも退治される予感がしてきました…。