見たものは…たいていお想いだせますか、記憶に自信がありますか、実際は、私たちの脳と記憶は常に私たち自身をあざむいているのだが、それには理由がある。
記憶とは、ただ記録しているわけではないのだ。
記憶は、注意深く不純物を除きながら蒸留され、そして、しばしば編集されすぎた消化物のように分解処理されて利用可能なものだけを蓄えている。
つまり、大切なものも…いらないものも…利用しないものは捨ててしまっている。
私たちは、記憶に絶対の信頼を置いているが、記憶というのは時として、とてつもなく不正確になりえるので、私たちの脳は実際には起きてもいないことを思い出したりする妄想の連続からなりたっているのかもしれない。
高齢者では、感情が高まったり、他人の行動を論難したり、感情面での変化が起こりやすくなる。
更に認知症では人格の変化が加わるため、興奮や大声を出すなどの感情面での気分障害も起こってくる。
これらの行動は不満や不快の意思表示なのだが、実は記憶と非常に関係がある。
記憶を脳の機能からみると、視覚を例にとれば、目に映った情報は視覚野で色、形、奥行き、動きなどの4つの要素に分け、脳の連合野が情報を共有して判断、認知、思考しているわけだ。
実はこの働きは生まれてからの生活環境によっても大きく左右されている。
育った生活環境の影響を受けつつ、判断や思考の回路が作られ、自己の役割を高めていくようになっているからだ。
1.記憶の種類
脳の機能から記憶の種類を見てみると、まずは時間の長さで分けられる3つの記憶がある。
2.短期記憶。
記憶を貯蔵する時間が数十秒から長くても1分程度と短い期間のみ残る記憶だ。
認知症の人は新しいことを覚えにくく具体的には今日の日付も分からなくなる。
これが短期記憶障害だ。
認知症の人だけでなく高齢者になると物を置いた場所を忘れて、いつでも探し物をしている光景をよく見かける。何度も同じことを聞くたり繰り返したりするのもこの短期記憶障害によるものだ。
認知症初期には健忘により事態の一貫性や連続性を絶たれ、新しい変化に対して保守的な態度でついてゆけず困惑して比較的直近の記憶から失われていく様子が伺えるようになる。
つまり、変化するものほど忘れやすくなるため分、時、日、月、年の順に忘れ、ついさっきの出来事が思い出せなくなり次第に思い出せない事が増えていく。
別の見方をすれば、新しいことが覚えられないということだ。
3.近時記憶。
近時記憶は、比較的最近の出来事を数分から数日間程度覚えている記憶だ。
今、ご飯を食べたのに、またご飯を食べてしまう調理中に違う用事をやると調理していたことを忘れ、鍋を焦がしてしまうなど、この頃になると同時に2つのことができなくなることが顕著にみられる。
これは脳の中にある記憶と関係する海馬が障害されたことによる認知症の初期段階で、もっとも多く見られる記憶障害だ。
4.遠隔記憶
最期に遠隔記憶といわれる時間的にかなり経過した出来事を覚えておく記憶に大別される。
認知症になると自分の生活の歴史を昔に遡りながら出来事を広範囲に忘却する逆向性生活史健忘になる。
そのため、現在の自分が置かれている日時・場所・状況的が把握できなくなり祝日や記念日、住んでいる場所や自分が通った学校や職場や職業を忘れ間違った見当づけをする誤見当識や勘違いをもとに自分なりに思い込んでもっともらしい態度で対応するし、つじつま合わせの作話をよく言うようにもなる。
最終的には家族の名前や顔、自分の存在感も薄れ、自分の年齢や名前さえも忘れてしまうのが、近時記憶や遠隔記憶の障害である長期記憶障害だ。
それだけではない、これらの時間の長さに分かれた記憶は、その内容によって貯蔵場所が異なる。大きくは、思い出や知識など、言葉や図形で表現できる陳述記憶と言葉では表現できない非陳述記憶に分かれて貯蔵される。
5.陳述記憶
➀意味記憶意
陳述記憶の中のひとつに意味記憶といわれ「知っていますか」の質問に答えられる記憶がある。学習によって獲得された記憶で、人や物の名前、文章や歴史上の出来事など言語的知識をいう。
②出来事記憶
もうひとつが出来事記憶と言われる記憶で「覚えていますか」の質問に答える出来事(エピソード)記憶がある。この出来事記憶は思い出など自分が経験した一連の出来事の記憶を風景や情景、映像や香りなども含んで覚えている非言語的記憶でもあるが、特に認知症の人にとって思い出を忘れてしまう悲しい記憶でもある。
しかし、この非言語的記憶の障害は言語的に現れてくる。
まず、人や物を指し示す代名詞に対して、事物・場所・方角などを指し示すのに用いられる「あれ、これ、それ」などの指示代名詞「こそあど言葉」が頻回に会話の中に現れてくる。また、常同症といわれる同じ内容の言葉などが持続的にくり返されたり、同じ内容の言葉を過剰に反復したり、何度も同じ質問をする等が比較的に会話内でみられるようになる。
もともと出来事記憶は嫌だとか好ましいとかの感情の動きをコントロールしている記憶で、どんな行動を選ぶべきかの判断のもととなっている。
つまり、出来事記憶が障害されると、自分の記憶を確認するかのように「こそあど言葉」や常同症が頻繁に現れてくるのだ。
6.非陳述記憶
➀手続き記憶
非陳述記憶は「体で覚える」手続記憶といわれる逆に言葉で表現できない記憶である。折り紙や自転車の乗り方、掃除や包丁の使い方など体で覚え込んだ記憶が貯蔵されている。
実は、泳ぐこともこの記憶が関係している。
つまり、運動技能、知覚技能、認知技能、習慣など同じことを反復することで形成されるので、その記憶は長期間保たれるという特徴がある認知症の人でも習慣的な動きは最後まで覚えているということだ。
②プライミング記憶
プライミング記憶といわれる記憶も非陳述記憶のひとつで、1回、見たものは2回目には認知しやすくなる無意識のうちに働く記憶で状況判断を素早く処理する記憶だ。
③古典的条件付け
古典的条件付けは、鰻を焼く臭いで鰻が食べたくなったり梅干しを見ると唾液が出るなどのように、経験の繰り返しや訓練により本来は結びついていなかった刺激に対して、新しい反応や行動が形成される現象をいう。
長く連れ合った夫婦の会話が一言いうだけで理解できるのは、この反応の結果だともいえる。
④非連合学習
非連合学習は、一般的に慣れと言われる記憶で繰り返される刺激に対して学習してしまい、反応が徐々に減弱してしまう記憶である。
一方、逆に痛みを伴う刺激が繰り返されると、騒音や人のざわめきだけでも敏感に反応してしまう感作という記憶もある。
7.ワーキング記憶
ワーキングメモリーといわれる作業記憶で長くて1分程度のごく短い時間で覚えていられなくなってしまう記憶だ。逆に言えばワーキングメモリーは目のまえの課題を遂行するため、その瞬間の状況を一瞬だけ保持し同時に処理する記憶だ。
ワーキングメモリーには視空間性ワーキングメモリーといわれるイメージや絵、位置情報などを保持する視空間的短期記憶と言語性ワーキングメモリーといわれる音声で表現される数や単語、文章を保持する原語的短期記憶があり、中央実行系ワーキングメモリーによって。注意の制御や処理を行っているのがワーキングメモリーだ。
8.あやつられる記憶
これらの、記憶はそのほとんどが意識に大きく左右されている。実際、人が意識している箇所は、非常に小さな範囲で、いわば動き回るスポットライトのようだ。
複雑で洗練されているように思える脳だが、日々の生活で拾い上げているのは、ほんのわずかな情報のみなのだ。
脳は「人類の進化」における脅威とは言え…、まだ完ぺきではない、選択された細かい情報だけが、記憶を決定づけているからだ。
記憶というのは、身の回りに起きていることの要点を抜き出したもので、細かいことを全部覚えているわけではない。
人は記憶を新しい情報で上書きしてしまい、しかも、気付かないうちに人間の脳は、記憶をもてあそんでいるのだ。
実際のところ、私たち自身の人生は、その記憶をどう思い出すかによって形成されているわけだから現実に起きたかどうかは関係が無いのだ。
注意を払っている時でさえ、細部が抜け落ちることがある。試算によると人間の脳は記憶に残る分だけでも1日に34ギガバイトに相当する情報を受け取っているわけだが、人の脳がいかに複雑とは言え、日々余りにも大量の情報に接するため、細部の記憶が曖昧になってしまうのは必然だろう。
そして、記憶は時には慣れ親しんだ状況でさえも意味をなさなくなることがある。
肝心な時に脳がそれを思い出すとは限らないからだ。
この細かい記憶の取捨選択が度忘れの正体なのだ。
歴史的な出来事を歴史書で精査し、その細部までに至ったときや小説に「はまる」と自分もその場にいたと思ったりするものだ。認知症のTV妄想もこれに似ている。
微に入り細に入り、学んでいくうちにこれらが、人生の一部になってしまったのだろうが、人の脳と記憶はたやすく操られてしまうということだ。
特定の出来事の詳細な情報を与えられれば、脳はそれを自らの体験ととらえ始めてしまい、それは、まさに自発的想起と言える。
実体験かどうかは関係ない認知症の人は脳の機能障害によって記憶が操られた状態だといえるかもしれない。