★プロティンキナーゼMゼータ(PKMζ)★
楽しい思い出もあれば、忘れ去りたい過去もあるでしょう。
これらの記憶が、私たちの思考や行動を形作るのです。
しかし、ある研究グループが発見した方法なら、記憶を変えられるばかりか、自分の本質までもが変化しかねないのです。
神経科学者達は、自己認識を故意に変えることは可能だと考えています。
脳の中に張りめぐらされたニューロンの神経回路は、私たちが車で走っている東京の複雑に入り組んだ道路のようなものです。
大小さまざまな路を車が往来しているように、脳内の電気信号の流れは、ルートごとに異なっています。
何かを経験すると、脳のどこかで電気的な活性化が起こって、脳内を駆け巡ります。
これが経験です。
大小さまざまな路が、街中をくまなく結んでいるように、脳の中には多くの情報が行きかう大通りもあれば、特定の情報だけを送る速度の遅い通り抜け困難な路地もあるのです。
路地や高速の道幅が変えられないように、脳内の回路はいったん成長すると変更不能になってしまう…と…長年考えられてきました。しかし、実は大人の脳も回路は常に建設されていたのです。新たな記憶を保管するたびに、何百万と言うニューロンに活動電位が伝わります。
道路工事にぶつかった私達は、道を迂回するよりも神経回路の新しい経験を処理し、記録するため、適宜に調整されるのです。
脳の回路は生涯を通じて、かなりの柔軟性を持ち続けていることが分かってきています。
これらは経験によって、影響を受け変化し、制御されているのです。
近年の研究で、記憶が形成される前に、脳内で活性化する物質が突き止められています。
それが、PKMζ(プロティンキナーゼMゼータ)です。
プロティンキナーゼのひとつ※PKMζは、私のお気に入りです。
新たな経験がもたらされると、PKMζは、出動命令を受けてニューロンに駆け付けます。
これが仲介役となって、神経細胞間でやり取りする情報伝達の効率を上げるのです。
記憶が脳内の回路を進む際、PKMζは道を開き、長期記憶の保管場所へ確実に導くのです。
一度形成したら、生涯忘れることがない長期記憶の保管には、このPKMζが介在しているとみられています。
PKMζは、赤信号を青に変える魔法のスイッチのようなものと言えるでしょう。
一方、このPKMζの働きを抑える化学物質が、※ζ阻害性ペプチドZIPです。
http://www.u-tokyo.ac.jp/public/public01_260317_j.html
これを脳に投与すれば、長期記憶の形成を阻止できるのではないかと考えました。
そこで、NY大学の脳神経科学者Andre Fenton(アンドレ・フェントン)博士は、小動物(ラット)を使って実験を行いました。
https://www.smithsonianmag.com/people-places/andre-fenton-68149596/
https://www.youtube.com/watch?v=cGMYOJjXyhk
実験の論理は、極めて単純なものでした。まず記憶を生み出すため回転する円盤を用意し、その上にラットを載せます。
ラットが円盤の一部分に足を踏み込むと電気ショックが流れる仕組です。
ラットは直ぐに学習し、その部分を避けて通るようになります。
コンピュータでラットの動きを観察すると、円盤状で電気ショックが与えられる領域だけを常に避けていることが分かります。
30日後再び実験装置に入れられたラットは、回避する場所を覚えていました。
つまり、脳に長期記憶として保管されていたのです。
しかし、ラットの海馬にZIPを投与したところ、その行動には驚くべき変化が見られました。
円盤に戻されたラットは、ためらいもなく真直ぐ電気ショックの領域に入ったのです。
まるで、なにも知らないかのような行動に目を見張りました。
ラットの記憶の一部は消えていました。
自分が出会った人や行った場所、行動なども薬1つで忘れることが出来る可能性が出てきたのです。
しかし、脳を開いて見る訳にはいかないため、ZIPで消えた記憶がどれくらい正確に把握することはできません。
今後、記憶のシナプス構成について詳しい研究が進んでいけば、特定の記憶だけを選択的に操ることが出来るかどうか…という点も解明されてくると思います。
但し、この研究にはすべての記憶を消し去ってしまいかねない大きなリスクが常に付きまとうでしょう。
ZIPで特定の記憶を消去するのは、まだ未来の話です。
次回は、辛く苦しい記憶を洗い流し、閉ざした「心」を開放する方法のお話です。