人生40億回目の鼓動、この記念すべき心拍数に達したら、幸運を祝ってほしい・・・
人生に乾杯、そして、素晴らしい旅に祝福あれLIFE、それは一人の人間が歩む、素晴らしい人生の物語、しかし、私の懐かしき思い出は鼓動の響に逆向しながら落ちて消えていく・・・
~第2章 幼年期~
私は、家の周りで遊ぶようになりました。
特に家の中庭は私のお気に入りになりました。天気がいい日は、一番に中庭に飛び出して、日差しを浴びながら紫陽花の葉裏に潜むカタツムリを手でつかみ虫籠に押し込みました。土の中に隠れているカブトムシの幼虫を見つけては、その様子を祖父の天眼鏡で観察もしました。
素足で草の上を歩く気持ちよさは格別で今でもしっかりと中庭の様子は、植栽の位置まで記憶に残っています。
今考えれば、私の虫好きは、この頃なのかもしれません。
懐かしき思い出は、虫の音色に耳を傾けては、虫を見つけ、時には、くさい臭いをかぎつつ、手に取っては舌の先で舐めても見ました。その苦いこと・・・
これらの感覚は、急激に成長する人体最大の器官が関係していたようです。
掌や手の甲を拡大してみると皮膚はデコボコして見えます。天眼鏡で見ると、さらなる発見があります。真皮はまるで広大なジャングルの縮小版のようです。
肌に張りを与えるコラーゲンやエラスチン、体温の調節に役立つ汗腺、接触、熱、痛みなどの感覚を感じ取るための神経繊維。
実は手や皮膚には感覚を受け取る触覚という感覚器があるのです。触覚は何かに触った時や触れられた時に感じる感覚です。皮膚の中には感覚を受け止める様々な感覚器が存在しているのです。パチニ小体、マイスナー小体、ルフィニ終末、メルケン盤、毛包受容器、自由神経終末といったものです。
最初に手のぬくもりを感じるのはパチニ小体です。マイスナー小体は接触によって皮膚が変化するスピードを感知します。ルフィニ終末は引っ張れる感覚をメルケン盤は押された感覚を・・・毛包受容器は手の傾きを捉えます。
自由神経終末は、全身にあり痛みや冷たさ、温かさを感知します。手のひらには痛みを感じる神経の数が他の場所より少ないので、特に温かさを感じられるのです。
こうして泥遊びの感覚が、私の一番古い記憶だ!
そんな、記憶に合わせるかのように母がこう言っていたのを今でも覚えている
「歯磨きは1日2回、朝と晩、大事なことよ」半分「うるさい」と思っていたので理由は聞きませんでした。
5時間ごとに増えるから、歯磨きしないと24時間で1000億個まで増えてしまいます。
特に寝起きに歯を磨くと風邪をひかないと言われていました。
母は正しかったわけです。
しかし、私にとって何より鮮明なのは、中庭から門扉を開けて街への毎日の冒険の記憶でした。夕暮時の鐘が鳴るまで冒険は体力を消耗するだけじゃありません精神的にも緊張します。新しい体験をするたび脳内にある何十億もの神経細胞がつながって脳に過剰な負担がかかるのです。
そんな場合の解決方法はただひとつ・・・眠りにつくことだ。
眠りにつくと、まず脳がシャットダウンして、体はエネルギー回復と傷ついた組織の修復を行う。
次に浅い眠りのレム睡眠に移行すると、眼球がキョロキョロと急速に動きだし、脳は目を覚ますけど体は動かい状態で、夢を見る。
夢を見ている間、脳の中で記憶の整理が行われます。不要なつながりを断ち、必要なものを補強して出来事や意味、手続きの記憶などに分けながら貯蔵されていきます。
それだけではありません、この時期、寝ている間に体は急速に成長していきます。3年後の私は、体重は27kg、身長は約127㎝になっていました。
心臓の大きさは、自分の握りこぶしと大体同じですから心臓も大きくなりました。ちなみに今の鼓動が500,000,000回(5億回)目の鼓動です。
そして、この当時爆発的にヒットしていた「のらくろ二等兵」の漫画だ。のらくろは、上等兵、伍長、軍曹と手柄を立てては出世していく、だから、いろんなことを教わった。「ケンカしたいなら相手になってやるぜ・・・
正義のために立ち上がること、どんなに激しく戦っても誰を傷つかないこと」・・・
子供らしい見方だが、この年頃の善悪感が、人格形成に於いて重要な鍵となるので、私は「のらくろ二等兵」によって培われたのかもしれない。そして、私の善悪感が試される時がこようとしていた。学校という社会に触れた最初の日、時にちょっとした出来事が人生を変えることがある。
私の人生が変わったのは、私よりも一回り大きな坊主頭の木村君がが、今も生きているのかは分からない。
私は、父からこんな名言を聞いたことがある。
「周囲が慌て、自分が冷静な時は、状況を把握していないのは自分だ!」と思えと言われていた。しかし、「チビ」と言われた瞬間、頭より体の方が先に動いた。
急な危険を察知し、無意識に闘争が逃走かを選択したのだ。この場合の危険とは、もちろん木村君のことだ。
アドレナリンとコルチゾールが放出され、心拍数が上がり体内にエネルギーが供給されるのを感じる。そして、怪我の出血に備えるように皮膚の血管が収縮する。体毛が逆立ち筋肉を緊張させて硬く強くなる。瞳孔は開き、しっかりと敵の動きに意識が集中する。
脳の中の大脳辺縁系にある扁桃核という場所が、視覚野の情報が自分にとって、快か不快で危険なものかを本能的に判断していることもあるけど、扁桃核は、主に恐怖心や不安感などを生み出す働きをしていて、危険と感じた場合には、闘争か回避かの選択を行って生理的状態を変化させてしまうからなのだ。
しかし、私には「のらくろ二等兵」のような悪運は付いていないようだった。
頭蓋骨の頂点は、体の中でも硬い部分で手の27本の骨は特にもろい部分だ。
つまり頭を殴ったのは私で、この時点で勝負がついてしまったというわけだ。
結果、「のらくろ二等兵」の漫画と違い、実際に怪我をしたのだった。
指は折れ、あざが出来、頭も押し倒された時に打ったようだ。
母親に連れていかれた骨接ぎ、今でいう接骨院での治療は今でも覚えている。
数週間のギプス生活中、骨にはいろんなことが起こっていました。
骨折部で血液が凝固し、修復のための細胞が集まりはじめ、壊れた組織は掃除され排除されました。
その後、網目状の繊維組織が骨の間に橋を架けて、軟骨がこの繊維組織を補強し、最期には軟骨に代わって新たな骨が出来たのでした。
この過程が終われば、骨は元通り・・・
だが、その間学校には通わなければならない苦難が待ち受ける学校に、私は半年間いじめの標的にされてしまったのでした。しかし、今度は、私は逃げるという選択肢を覚えたわけです。そして出会ったのが、近藤浩二君と加藤寅之助君でした。
二人も木村君の標的だったので、共通の敵が私たちを結び付けたわけです。
8歳頃には運動能力と動作の協調性が急速に向上したころでもありました。
私たちは学校が終わると、すぐに空き地に行って草野球を楽しみました。頼りになる能力は、ボールを打つ動作、この動作は実はとても高度な能力なのです。
まず目がボールを捉える。次に脳がスピードと球筋を計算する。
そして適切な姿勢でスイングするように筋肉に信号を送る。手とバットで振り方を調整しボールを打つ・・・
この一連の作業を4分の1秒以内で行うのだから凄い!
そして、581,042,006回目の鼓動の瞬間、人生発の本塁打を打ったのでした。
12歳頃の思考は、より複雑で抽象的になった。
そんな年頃の私たちの心を捉えたのは・・・初めて聞く街頭ラジオの放送でした。
時に昭和10年、ディック・ミネの「二人は若い」がラジオから流れていた。
街頭では岡田内閣の「国体明徴声明」が騒がれていて「天皇機関説」を排除しようとする軍部の政治的進出が始まったことを子供ながらに覚えている。
私の幼年期も、その後まもなく終わった。時に昭和10年・・・
次回の第3章は思春期です。
視床下部が下垂体に送った信号から始まった様々な体の変化を時代背景と共に語っていきます。
いよいよやってくる最大のPTSD(心的外傷後ストレス障害)が私の体に何を起させたのか、下垂体から性腺刺激ホルモンを分泌これにより精巣が発育して、テストステロン(男性ホルモン)が20倍に増加したのでした。それが引き金となり体に様々な変化が現れたのです。しかし、私たちの思春期は「死」をかけるための「勇気」としてのテストステロンだったのです。