私達の研究の一つに、単身・重度であっても在宅を中心とする住み慣れた地域で、認知症の人が生活を継続する事が出来る可能性を調査するシームレスケア研究があります。
そんな研究の中から、気象とBPSD(行動・心理症状)の関係について調査した結果を「今月の認知症予報」と題して報告しています。
五月の広葉樹の芽吹きは、自然の生命力を感じさせる新緑の季節です。
新緑とは、春から初夏にかけて、冬枯れの木々が芽吹く鮮やかな緑色になる現象を言います。 日本の新緑を彩る森林の木々には、針葉樹と呼ばれる葉が針のように細長いスギ、ヒノキ、松を始め、落葉広葉樹と言われる葉が低温や乾燥によって、冬の時期などに葉を落とすケヤキ、イチョウ、ブナ、カエデなどがあります。
加えて、太い幹で体を支え、そこに水や栄養を蓄えて,常に葉を広げて光合成を行い落葉することのない椿やクスなどの常緑広葉樹が新緑を彩る森林を構成しているのです。
そして、これらの森林が新緑を迎えるこの時期は、認知症の人にとっても格別の効果をもたらす時期でもあることはご存知ですか。
以前から認知症の人と森林浴の効果については語ってきましたが、この話で忘れてならないのが森林中に浮遊する植物由来の物質「フィトンチッド」です。
「フィトンチッド」とは1930年、ロシアの生物学者ポリス・P・トーキン博士が昆虫や病原菌の忌避や誘引作用を果たし抗菌作用のある物質として発見しました。
そして、近年の「フィトンチッド」の研究の結果、森林浴と言われる「フィトンチッド」を浴びると、癌細胞を破壊する作用を持つNK細胞が50%も活性化されて免疫力が高まることが分かってきたのです。それだけではありません。コルチゾールと言われるストレスホルモンが50%以上も減少され、ストレスが軽減されることや、記憶や学習などの神経伝達物質のアセチルコリンを20%も増加させて認知症の人において効果が期待されてもいるのです。
しかも、副交感神経を刺激して精神を安定させる作用や、不安を取り除き開放感を与えてストレスを軽減する働きがあることも分かってきたのです。
また、新緑のこの時期の森林は、とても静かで…木漏れ日の中、聞こえるのは小鳥のさえずり、小川のせせらぎ、風の揺らぎなどの自然音に濃淡のある緑色の風景と言った視聴覚を刺激するものがいっぱいなのです。
加えて、木の実は味覚を刺激し、花の香りは嗅覚を刺激するなど、五感機能を回復・改善するのに役立つのです。もちろん認知症の予防に繋がることは言うまでもありません。
特に、認知症の予防に役立つ森林に私達の独断ではありますが「認知症の予防八景」と名付けているのです。
そんな森林浴が楽しめる八景の一つをご紹介します。
吉川英治の「宮本武蔵」で紹介された美しい自然公園、長野県岡谷の塩嶺峠から塩尻峠まで広がる塩嶺御野立公園(えんれいおのだちこうえん)です。岡谷駅から車で15分の所にあるので比較的高齢者や認知症の方でも行くことができます。
この公園は「小鳥の森」としても有名で、日本の音風景100選にも選ばれるほどの名所でもあるので「認知症の予防八景」のひとつに認定したのです。
公園内の塩嶺閣と言う展望台からの眺めは、諏訪湖、八ヶ岳、富士山、北アルプスが一望できます。この峠の一帯は、落葉広葉樹と常緑広葉樹、そして針葉樹が混雑する日本有数の森林でもあり、四季を通じて繁殖鳥、留鳥、漂鳥、南鳥、冬鳥など多種多様の野鳥が生息しているところでもあります。
特に、すがすがしい朝の新緑の光の中から聞こえてくるカッコウ、アカハラ、キビタキなどのさえずりは立体音響になって心を癒してくれます。
このような鳥のさえずりは、認知症の抑うつや不安症状の治療にも役立っているのです。
例えば、同じ長野県小諸市にある小諸高原病院では、MCI軽度認知障害の人で“うつ病”に悩んでいる人の治療法の一つとして、鳥のさえずりと四季の木花を楽しむ認知行動療法を始めています。
実は、鳥のさえずりや小川のせせらぎなどの音には30kHz以上の超高周波成分が含まれているのです。この音は、脳波のα波を増加させ、リラックスさせる効果があると言われています。
現代の私達は、大都市のような不自然な環境下の中で、人類史上遭遇したことのないような人工音(高域を遮断させたデジタルコンテンツ)の洪水を浴びているわけですから、人体に何らかの悪影響があることは歪めないでしょう。
しかし、日本で有数の森林浴を楽しめる塩嶺御野立公園で聴かれる鳥のさえずりは、可聴域を超える高周波音で、人間の脳幹、視床、視床下部を活性化するのです。
そして、それに反映する生理、心理、行動反応も惹き起こし、脳血流量の増大やα波の増強、免疫活性の上昇からストレス性ホルモンの減少まで行われることは検証されているのです。
このようなことからMCI軽度認知障害の方にとっては、認知症の発症を抑える働きがあるのではないかと言われているのです。
これをハイパーソニック・エフェクト(超高周波空気振動)と呼んでいるのです。
さて、ケヤキやトチの新芽は、出てから2週間もすると、どの木も緑の色を濃くしてきますが、木々の葉が成長を始め、光合成を盛んに行う時期こそが最も「フィトンチッド」を浴びれる時でもあり、鳥たちは繁殖のため美しい声でさえずり合う時でもあるのです。
昔から四月は風光り、五月の風は薫と言われています。風薫る五月と言う言葉は今でもよく使われていますし、確かに穏やかに晴れた日の風はさわやかな香りを含んでいるような感じがします。
実際に木々の葉は新緑から若葉になる頃が最も成長が盛んで、その多くの葉は「フィトンチッド」の芳香を持った物質がいっぱい出ているわけですから、この時期、認知症の人と共に、お近くの森林を散歩しながら森の空気を吸って、気分を改善し、心身のリハビリテーションを行ってみてはどうでしょう。詳しくは森林療法を参考にしてみてください。
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