筆者はこれまでの介護実践を通じて、認知症ケアにおいては「メンタルケアの原則」と「接し方の原則」の両方を併せ持つことが必要だと考えた。そこで、認知症の人と関わる際の基本的姿勢を「キョウメーションケア10か条」として示した。
認知症ケアは本人の心の向きを知り、それに添って、その人の生き方を援助していくものであるが、知らず知らずのうちに介護する人の感情がケアに大きく影響してくる場合も少なくはない。そのため介護者は気を働かせ、気を配って援助することを心がけているはずだが、人間は必ずしも理性の動物ではない。案外いろいろな偏見を持っていることにも気づくことがある。それは、感情にある偏見がある種の感情、つまり好きと嫌いとを結びつけているからである。
この10カ条は「ファーストコンタクト(第一次接触)」の基本とも呼んでいる。新規で支援を開始する最初の時はもちろん、認知症の人と向き合う際は、いくつでもファーストコンタクトだというのがキョウメーションケアにおける考え方であり、必ずこの対人援助方法を用いている。記憶や認知の障害で明日を描けなかったり、顔が分からなかったり、顔が分からなかったり、会ったことも忘れてしまう。認知症ケアにおいて、一瞬一瞬の出会いが生涯にただ一度と考えているからだ。
では、第1条「微笑みの交わし」について解説してみよう。人は好きな人や好きな物には近づき接触したくなり、嫌いな人や物からは離れていたい。このような気持ちを持つ時、認知症の人の中では一体何が起こっているのだろうか。家族、親類、友人、知人、同僚など「なじみの関係者」と認知している人とは仲良く付き合うが、誤認も含め見知らぬ人、あるいは自分と意見が合わない人には、不安、恐怖、不信、妄想、拒否などが現れる。
これは顔の記憶が障害で認知できていないことが考えられる。人間は耳からの情報より目からの情報を優先させているのだが、これを脳の働きから見ると、目から入った混沌とした情報を視覚野が受け取って、色や形、奥行き、動きに分解し、思考や言語などの高度な情報と合わせて認知している。その仕事をするのが頭頂連合野、側頭連合野、後方連合野という部分で、側頭連合野には「顔」を覚える顔細胞がある。特に目や鼻、口に敏感に反応する細胞で、見覚えがある顔かそうでないかを判断しているのだが、認知症の人はこの部分が障害されるため顔では区別ができなくなってしまい、見覚えがない人が近づいてくる不快感から、不安や恐怖を持つのである。
しかし、見知らぬ人と思われていても、目があったら喜色満面で微笑むことは効果的であり、「なじみの関係」を築くことは充分できる。これは、前方連合野にあるミラー・ニューロンと呼ばれる「共感」する神経細胞によるものだ。この神経細胞は、他人の表情や行動を真似して、自分の身に置き換えて相手の意図を理解する(=共感する)働きがある。母親が笑顔で接すれば赤ちゃんが喜ぶのもこの働きによるものだ。
認知症の人は、自分が置かれた生理的な状態によって正直に感情を出す。作った顔や、心とは裏腹な表情を作ることはほとんどない。
正直だからこそ不安と不安に伴う緊張が一番はっきりと出てくる。
そんな時は横隣りに座り、同じ姿勢、同じ方向を眺めて、その人の気持ちに寄り添いながら気分や態度などを察して、焦らず注意深く丁寧に対応する。「聞き上手」になれば、安心感と信頼関係を得ることができる。第1条は、こうした理論と考え方に基づいている。
また、7条の「手の触れ合い」は「心の絆」や「心の投射」と呼ばれ、熱があることやあるいは手指の冷感、また前日との違いや変化を感じ取ることができる。認知症の人の心の窓を開かせ、ケアを受け入れられるようにするのに必要な援助技術である。
手を触れ合い、加えて話かけることは感情を知る上でも重要になる。感情は共感するしかないものだからである。
話しかけは、はっきりと相手のペースに合わせ話すことが大切になる。
そして話をする時には人の感情を逆なでる「とげとげしい物言い」や不快感を抱かせる「嫌みのある言葉使い」、人の痛いところを突いた「当てこすりの声掛け」は禁物である。
認知症ケアにおける感情という不思議な世界の扉は、絶え間ない話しかけで開く。すなわちケアは根気よく行うことに他ならないのである。(認知症高齢者研究所所長 羽田野 政治)
シルバー新報 2014年4月18日号より抜粋