林真理子、小学館、2012年
1,000年も前の平安時代に書かれた、「源氏物語」の数ある現代語訳の中から林真理子の本書を取り上げたのですが、彼女によれば紫式部の「源氏物語」を彼女なりに再構築した小説だという事を読了後に知りました。
複雑多岐な男女関係を六条御息所の生き霊に語らせることにより、整理したようです。色男、光源氏に絡む10数人もの女性を描き分けた個性描写には感心したのですが、それでもそれら女性の多様性に偏りを感じました。基本的に男に従属する女性ばかりで、男との不公平・差別に挑むような果敢な女性が一人も出てこないことに物足りなさを感じました。
それは原作者、紫式部の限界・能力不足というより、当時の男社会がすでに堅牢確固と確立していたことの反映なのでしょうか。でもこのような男社会は平安朝の貴族社会に限られていたと思われ、その世界にどっぷり浸っていたとしても、京の都の生活圏の中にも貴族社会とは縁のない庶民や下層民はいたに違いなく、それらと一線を画する貴族社会の成り立ちや、その機能的必然性のような背景描写や社会学的な考察を伺わせる記述が無いのが物足りませんでした。
その理由の一つは、権力者でもある光源氏の描き方が一面的であるのに問題がありそうです。彼の「女たらし」ぶりは、事細かく、また上手に記述していると思いますし、現代人の中にも見かけそうなタイプのリアリティーある人物像なのですが、彼の支配者・成功者としての力量・社会的能力は描写不足です。
不義を恥じて自ら都落ちした光源氏が、都に呼び戻され、位階を登っていく過程で、彼をサポートする人々の動きや、たまたまの運の良さのようなものが描かれるのに対し、彼自身の権力欲や駆け引き、或いは権謀策術はほとんど出てきません。
彼がよく泣くのに驚かされるのですが、こんな女々しい男が権力を獲得していけるとは想像できません。女性作者の限界でしょうか(勿論、当時の圧倒的男中心社会が女性作者の限界を作ったとも言えそうです)。と言った訳で社会的、或いは政治・経済的な結びつけ描写がないために、社会科学的な分析は難しいのですが、それを求めるのはナンセンスなのかもしれません。男と女の色物語に徹していると言えましょうか。
登場女性の美貌が話題・問題になるのはしょうがないというか、男読者の私に違和感はないのですが、この光源氏の魅力が相当の比重で彼自身の美貌に依っているという描写は納得できないところです。「男は顔じゃない」と言うのは私の偏見・ひがみなのでしょうか。女性作者だからこそ、女の本音を表現したのかもしれませんが、当時としては新奇なこの「平仮名小説」が、主に女性読者を想定して、より多くの恋焦がれる若い女性が憧れるような男性像を描きだしたかったのかもしれません。
現代の女性週刊誌的なノリでしょうか(実際、全54帖は数年に亘り逐次書き続けられたようです)。紫式部があの時代の「林真理子」だったのではないかという、読書会での某発言には成程と思わされました。とは言え紫式部を矮小化しているのではなく、むしろ現代の流行作家の1,000年以上も前を走り、活躍した先駆的、且つ創造的作家だったと言えそうです。この「源氏物語」だけで和歌795首を詠み込んでいることからも、只者ではないことは明らかです。
塩井純一