「我々はどこから来て、今どこにいるのか?」

エマニュエル・トッド著

堀茂樹訳、文藝春秋、2022年 (フランス語原著は2017年刊)

現主流の「経済至上主義的アプローチ」に対して、「人間の行動や社会のあり方を『政治』『経済』より深い次元で規定している『教育』『宗教』『家族システム』の動きに注目する人類学的アプローチ」を試みています。ここで『政治』や『経済』を「意識」レベルの人間活動と捉え、それを「下意識」の『教育』、更に「無意識」レベルの『家族』で理解しようというのです。

 例えば、「経済統計は嘘をつきますが、人口統計は嘘をつきません」として、1850年と1950年の各国の人口増減を表(表D)にしているのですが、これを見るとわずか16%増のフランスが159%増のドイツの擡頭を恐れ、そのドイツが166%増のロシアの擡頭を恐れ、110%のイギリスは日独露(日本は162%増)のすべての擡頭を恐れたと主張します。

第一次大戦と第二次大戦の背景にあったのは、新興勢力の急速な擡頭によるパワーバランスの不安定化だと言うのです。ここで大戦に深く関わった日独は共に父系制の直系家族型社会であり、これが権威主義下のもとで、効率的な経済発展を促したとしています。更に2000年と2050年(予測値)の人口増減も表(表E)にしているのですが、英国(25%増)、フランス(11%増)、米国(34%増)が増えるのに対し、ドイツ(2.5%減)、ロシア(7%減)、日本(17%減)と減少しており、日独の将来的衰退が予期されるのです。また2015年時点での出生率(表16-1)を見ても、フランス2.0、英国1.9、米国1.9となんとか現状維持できそうなのに対し、日本、ドイツは共に1.4でこれでは尻すぼみにならざるを得ません。確かに、GDP等にみる経済統計は現状の国力を反映してはいますが、それはいつなんどき反転してもおかしくないのに対し、人口統計はその背後の基底的な国力につながっており、こちらのほうがその国の長期的底力を、将来的な底力をも反映していそうです。人口増減に『家族システム』が関係するだろうことは容易に察しがつきますが、実際には『家族システム』の違いが『宗教』や、識字化から始まる『教育システム』の進展に異なる影響を与え、それが『政治』『経済』を動かし、それらの相互作用の結果が人口増減を決めているとし、時間的な流れも抑えて、見事に解析・分析しています。日独は権威主義のもと、経済的には数十年の短期的成功は収めるのですが、子供を産み育てることの価値観、家族・家庭観を犠牲にした為に、今や出生率の長期的低下を招いており、将来的な国力衰退を強く示唆するのです。

別の例でいえば、共産主義体制の分布図が、ロシア、中国、ベトナム、ユーゴスラビア、アルバニアなどに存在する特定の農家家族システムの分布図に合致することを著者は見出しています。「その家族システムは、一人の父親と既婚の複数の息子を結びつけるシステムで、親子関係においては権威主義的、兄弟同士の関係においては平等主義的である。権威と平等性はまさに共産主義イデオロギーの核」だと鋭く指摘します。更に「都市化と識字化が農村の共同体家族を解体する。稠密な一体性を失った共同体家族は、固有の価値である権威と平等性を一般社会生活に解き放つ。父親の拘束から解放された個人は、家族的隷属の代替物を一党独裁の党への加入に、中央集権化された経済による統合に、そしてロシアの場合ならば、KGB(国家保安委員会)によるコントロールに求める」と書いており、ロシア人自身が、レーニン、スターリンの後も無意識に独裁者プーチンを求めているのだと納得できます。現在進行中の理不尽に思えるロシア・ウクライナ戦争の背後理解も助けます。他方、直系家族型である日本が権威主義ではあっても反平等主義であるため、到底共産主義を受け入れられなかったことも理解できます。何しろ企業トップや、議員を含む政界での女性比率は、世界最低レベルなのですから。とはいえ、各国の平均余命(表0-1、2015年)を見ると、日本が男80歳、女87歳で7歳もの差があり、その差が世界最高水準であるのに対し、例えばオーストラリアは男80歳、女84歳で4歳差ですし、イタリアだと男80歳、女82歳で2歳差なのです。日本女性が男社会の圧力下で、社会的には抑圧・差別されているに違いないにも拘わらず、生物的には逞しく生き続けているのが凄いし、でも何か腑に落ちないところです。いやはやウチのカミさんを含めて日本の女は訳わからん。

『家族型』を基底として現社会、歴史を理解する著者の人類学的アプローチは興味深いだけでなく、かなり納得させられたのですが、『核家族型』が人類の原初型かどうかには疑問を感じました。ゴリラや日本猿のボス社会を見ると、強い雄(男)が多くの雌(女)を従え、交尾(セックス)するハーレム社会こそが、初期人類の原始家族型だったのではないかと想像してしまいます。オトコの夢想と笑うなかれ、今後の文化人類学と霊長類社会学の進展に期待しましょう。ただ私の想像通りであれば、現状の一夫一婦制・核家族型こそが人類進歩の現到達点ということになります。また日本の家族型については速水融の業績も取り上げ、著者のかなりの理解が伺われるのですが、孔子を祖とする2000年以上に及ぶ儒教思想がどれだけ深く中国や韓国・朝鮮の近代化を阻んできたかの歴史を知らないのではないかと疑っています。この儒教・儒学はその実利性の故に、宗教の枠には収まりきらず、ヨーロッパにおけるキリスト教以上の大きさ、強さがあったと思われます。直系家族制が儒教・儒学を生んだのかもしれませんが、その儒教・儒学がこの直系家族制を更に確固たるものにし、科挙の制度や宦官制等を生み、更には纏足等の慣習をも育みと、政治、文化、哲学・人生観までを覆い尽くした感があります。この儒教思想と儒教文化圏の歴史的理解が十分ではないと評価しています。最近ついに出生率0.72まで落ちた韓国は、この儒教思想・文化の悲惨な犠牲国でしょう。著者エマニュエル・トッドは生粋のフランス人として、ヨーロッパ中心の文化観・歴史観に縛られているように思われ、中国史や日本・韓国を含む東アジアの文化史の専門家の見解も聞きたいです。

塩井純一

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