新しい職に就き、万事がうまく進んでいるように見えました。
だが、体はよくない方向に向かっていたのです。
1日の活動中、血管を流れる血液は、なんと19,000㎞も旅をしているのです。
北海道最北端「宗谷岬」から鹿児島最南端「佐多岬」1,880㎞を1日に10往復するのに等しい距離なのです。
それには、柔軟な動脈が鍵となるのです。
しかし、ヒトはだれしも20歳のころから動脈は効果を始めます。
そこに問題があるわけではないのですが、血流を妨げるようなことをするようになると話は別です。
中年期に入り、忙しかった私は、何も考えず血流を妨げていました。
食生活の乱れは怖いもので、人間というのは、エネルギー源となる脂肪分や糖分が大好きです。
その味は脳を刺激し、快感をもたらす薬物やアルコール同様ドーパミンが分泌されるのです。
だから、もっと欲しくなるのです。
これは、まさに依存症です。
脂肪は見える所だけでなく、心臓の周りにも蓄積されるのです。
弾力性を失った動脈の壁にコレステロールがたまり、血管の内側が狭くなります。
アテローム性動脈硬化症です。
これが起こると血液がスムーズに流れなくなります。
また、糖分の働きにより、肌に張りを与えるコラーゲンやエラスチンが損なわれます。
眉間や眼尻にシワが目立つようになります。
こうしたことの積み重ねが、後に大きく作用してくるのです。
いつの間にか鼓動は20億回をとうに超え、世間では。私の憧れの巨人軍の長嶋茂雄選手が引退した年でした。
50歳になった私は、あまりにも長い間、体に過度な負担をかけていたのです。
少し疲れ気味になっていた私は、久しぶりの休暇時に問題が表面化しました。
51歳の誕生日の2日前、新幹線が博多まで開通した日でした。
血管内に出来ていたコブが破裂、動脈の壁に傷がつきました。
そこに、たちまち血栓ができ、多くの場合、まず背中に鈍い痛みを感じます。
顎にまで痛みが広がり左手に「しびれ」を感じ始めます。
左冠動脈主幹部に出来た血栓のせいで、血流が止まったのです。
この症状には、別名があります。
ウィドーメイカー(後家つくり)とも呼ばれています。
私は、こうして1度、死にました。
しかし、幸運にも旅館に医師が滞在していたのです。
救急車が着くまで、彼が30分間近く救命処置をしてくれたのです。
処置なしでの生存率は、心臓停止後1分ごとに10%低下すると言います。(カーラーの救命曲線)
彼は文字通り、私の命の恩人です。
そして、もう一人の恩人は手術中の執刀医です。
どういう処置をしたか、後で彼に聞いたら、まず、動脈にステントを入れて、
膨らませ、動脈を広げたそうです。
次に心臓発作で損傷した僧帽弁を修復し、心臓を再起動させたそうです。
驚いたことに、私の心臓はダメージをものともせず、すぐ仕事に戻ったのです。
血液を送り、私を生かす仕事に付き合いっていますが、他のパーツは回復に時間がかかった。
特に歩くための筋肉は、入院でほんの少し寝ていただけなのに、元に戻るまでには倍の期間がかかった。
心臓発作はこたえたが、自業自得だという“自覚”はもっとこたえた。
世界的に見ても、心疾患は死因の第1位で、毎年およそ19万6千人が命を落としている。
6週間後、私たちは横浜に戻った・
そして仕事に復帰した私は、また、新たな現実と向き合うことになった。
生活習慣を変えるには、モチベーションが重要だということで、ようやく回復した私は、生活の改善に乗り出した。
毎日約5キロ、30分のランニングで体調がよくなってきました。
走るたびに腹回りはもちろん、心臓の周りの脂肪も着実に減っていきました。
発作前は、忙しさにかまけて何事にも時間を割かなかったのですが、仕事第一でなくなった今、生活を楽しみ始めています。
夫婦でダンスを始めた、下手くそでも構わない、踊ること自体に意味があるということが分かってきた。
時間を戻すことは不可能だが、老化を少々遅らせることはできる。
51歳の時、私の身体年齢は60歳近いと診断を受けていたが、66歳の今は、62歳と劇的に改善している。
運動による健康管理と医学の進歩のおかげで、鼓動が30億回を超えても、まだまだ人生は続いている。
そして・・・さらに、私達は未知の領域に進もうとしている。