Science Park★脳と記憶・脳の未開発領域Brain Frontiersを探して★

Science(サイエンス)は、日本語に訳すと科学と訳されますが、私たちの認知症高齢者研究所では自然科学を意味しています。

また、認知症ケアの本質を探る場合においては自然科学的知識と位置付け、根拠に基づくKyomation Care(キョウメーションケア)の体系の根幹にもなっています。

今回は、脳の世界へ探検に出かけましょう。

宇宙の未開拓領域をSpace Frontierと言いますが、宇宙と同じ人間の脳は、宇宙で最も精密な装置であり最後の未開拓領域かも知れません。

あまりにも身近な存在のため、普段意識することのない脳の働きは、宇宙の謎の様に、その仕組みは複雑で、その中で何が起きているのかいまだに多くのことが解明されていないのです。

今回は、その中から、最も大きな謎を秘めている記憶の探検に出かけてみましょう。

記憶のおかげで脳はいつでも過去や未来に行けます。

また、過去にあったことを現在に引きだすことも出来ます。

この能力は私達、人間が宇宙に存在するために必要なツール(道具)なのかもしれません。

鼓動を繰り返し、血液を送り出す。心臓のような臓器の働きやDNAに描かれた遺伝子情報などは最近の研究でよく分かって来たのですが、脳の記憶の仕組みについては、まだまだ解明しきれないBrain Frontier未開発領域なのです。

今から80年前、脳の仕組みに関する研究の一つにアメリカの脳神経心理学者のカール・ラシュレー博士によって行われたネズミに迷路を学習させる実験がありました。

その実験で博士は「脳の何処に迷路を通るための記憶」が保存されているのかを調べたのですが、逆に記憶は特定の場所に保存されることはないと言うことが分かったのです。

実は脳の記憶は、異常に精密な入り組んだシステムのパターンで構築されており、そのパターンは、およそ10兆バイト(byte)の情報を記録出来ると仮定されているのです。

ちなみに1バイトとは、コンピュータの情報処理を行う時に取り扱われる情報記号で、普通1ビット(半角の英数カナ文字1文字変換を行う処理能力が1ビット)8倍、8ビット(bit)のブロックが1バイトになります。

つまり、半角文字8文字が1バイトということになり、脳の記憶は、その10兆倍ということになるのです。これは膨大な情報処理能力でもあり、脳は宇宙で最も精密な装置といえるのではないでしょうか。

また、脳の神経細胞から見ると脳の外側にある大脳皮質だけで100億個の神経細胞があり、私たちの住む銀河系の星の数より多いのです。

このような神経細胞の繋がり回路(circuit)が大量のデータを記憶し、驚くべき方法で保存したり取り出したりすることを可能にしているのです。

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その驚くべき記憶の一つの実例を紹介しましょう。

生物が目に映った対象を映像で記憶したものを、映像記憶もしくは直観像記億とも言います。神経科学で記憶について理解しようとする際に、私たちは視覚と記憶を使う映像記憶を持つ人に興味を持ちました。

その一人が、イギリス人アーティストのスティーブン・ウィルシャー(Stephen Wiltshire)さんです。

彼は、何でも見たものを映像にして記憶する驚くべき能力を持っています。

複雑な街の眺めを記憶して、それをびっくりするほど詳細に再現できるのです。

数分間見るだけで、目で覚えた風景の記憶は色あせることはないと彼は言います。

そこで、この能力を理解するために、視覚の働きも説明しておきましょう。

視覚(The Visual Cortex)は脳の後ろにある後頭葉または視覚野と呼ばれる部分で処理されます。人間の視野は両目でおよそ200度です。そして、230万色を識別することが出来ます。毎秒72GB(ギガバイト)の情報が脳に送られると推定されています。

GB(ギガバイト)とは、1KBキロバイトは1バイトの1000倍で、その1B1000倍が1MB1MB1000倍が1GBです。

i-podで考えると18,000曲が1秒ごとに蓄積される容量です。

彼は脳の数か所を使って記憶を再現していきます。特に空間認識力と反射神経を司る頭頂葉(The Parietal Lobes)を中心に使っているようです。

しかし彼はこの能力を持つがゆえに、他の能力を犠牲にしています。

彼は自閉症なのです。殆どの人は彼のような能力は持っていません・・・なぜなら他にたくさんのことを同時に記憶するからです。仕事のこ
と、人間関係のこと、将来のこと、経済のことなど様々な事を考えます。その結果、神経細胞は色々な処理を分担して行っているため、映像記憶を犠牲にしているのではないでしょう。

人は幼年期にこの能力は普通に見られるのですが、思春期以前に消失してしまうと言います。しかし、この消失も、その能力そのものが消失してしまったのか、無くなった様に思えても潜在的に残っているのかは、正確には分かっていません。しかし、京都大学の霊長類研究所の研究では、チンパンジーの幼獣にも映像記憶の能力があることが分かっています。

その事から、チンパンジーの子供の記憶力は人の成人を上回るとも考えられています。

これは、野生の世界で生存するための手段として映像記憶が発達した可能性があり、その意味では原始的な記憶能力なのかもしれません。

ある分野で優れた能力を持つ自閉症患者の神経細胞は、ルービックキューブを解くことやピアノを弾くことなど一つのことに集中します。その結果、例えば人とうまく付き合えなかったりするのです。レオナルド・ダビンチやモーツァルト、モネのような天才も素晴らしい記憶力を持っており自閉症であったのではないかという憶測もあります。

人は人間関係を維持するため言語によって自然界の事象を抽象的に把握する能力が向上したので、映像記憶の能力が衰えたとも考えられているのです。

人間関係の維持が不得意なため言語に頼らない自閉症患者は、逆にこの映像記憶を強く残しているのではないでしょうか。

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また、別の実例を見てみましょう。

脳の記憶には、すべてを覚えられる映像記憶のような脳もあれば、逆に全く覚えられない脳もあるのです。

認知症の患者の例を見てみると毎日会っていても、会うたびに初めて会ったかのように接してくるときがあります。

イギリスのクライブ・ウァーリング(Clive Wearing)はアルツハイマー型認知症とは異なる重度なウィルス感染による二次性の認知症でした。

その為、彼が記憶できるのは最長で30秒だけなのです。

彼は自分の記憶に関して「何が起きているのか?起きていないのか?・・・よく分からない」前後感が無い中途半端な状態といいます。そして、自分がいつも「どこにいるのか分からない」と言うのです。

また彼は、「きっと自分は考えているのだと思う」と言います。しかし、考えたとしても、数分で忘れてしまうので、考えているか考えていないのかもわからないのです。同じように「夢も見ているのか見ていないのかが分からない」とも言います。そして、毎日が同じ繰り返しに見えるとも言います。

発症する前はイギリスの有名な指揮者で音楽学者でもありました。

急性炎症が始まった時には脳は重大な損傷を受けていたため彼は非常に短い記憶しか持てなくなってしまったのです。

彼は救急車で運ばれた日以来の記憶が全くないそうです。それ以前の自分についての記憶も曖昧になり殆んど今では無いと言います。

記憶は脳全体に広がりますが、記憶を保持したり取り出したりするために重要な部位が一つあります。大脳辺縁系ある海馬(The Hippocampus)です。

海馬がなければ新しい記憶は作られません。脳の中の記憶には即時記憶、近時記憶、そして長期貯蔵の記憶である遠隔記憶があります。即時記憶とは電話をかける前に電話番号を数秒間覚えておくような時の記憶で、遠隔記憶とはたとえば自分が何処で育ち、何処の学校に行き、今日何をしたかなどの記憶の貯蔵庫です。

彼が記憶を保持できる時間は30秒と非常に短く即時記憶や近時記憶から遠隔記憶の貯蔵庫へ保存することが出来なくなってしまったのです。

つまり、ウィルスのおかげで記憶を脳の何処にも保存させることが出来なくなってしまったという事です。

彼は前向性と逆向性の健忘状態のある認知症で、海馬に障害が強く表れているのです。

つまり新しいことは学べません。昔のことを思い出すのにも苦労する状態です。

それは、私たちのように自由自在に記憶を引き出すことが妨げられているからです。

しかし、彼の症状で興味深いところが有ります。それは、家族のことや、ちょっと前にやったことは覚えていないのに、言
葉を覚えていて上手く話すことが出来ることです。

話し方や文の作り方などの「手続き記憶」は、彼が思い出すのに苦労している経験や体験の記憶である「出来事記憶」とは別の場所に保存されているという証でもあるのです。

様々な種類の記憶が色々な場所に貯蔵され保存されています。彼のおかげで言語記憶は側頭葉に置かれており脳の左側に音や会話に関係する部分があることの証にもなりました。

それだけでなく、私たちを驚かせるのは、彼はピアノを弾くことが出来ることです。脳の右側にあるピアノを弾くための「手続き記憶」は損傷を受けていなかったのです。

彼がピアノを弾く時は何か脳の神秘性を感じます。記憶の種類ごとに別々に貯蔵され保存されていることを示すよい事例でした。

彼の経過は、症状が惹起して3年間は焦燥感が続いていたそうです。いつもイライラして怒っていたようです。

最初の10年間はいくつかの同じ行動をひたすらずっと繰り返す生活をしていたと言います。自分がおかれた状況への不安、恐れ、恐怖、戦慄が原因でした。

しかし、彼は頭に浮かんだことは何でも書きとりました。机や壁など書けるものには何でも書いてしまうほど強迫観念に捕われていたようでもあったそうです。

彼の日記は心の叫びや取り消された言葉で埋まっていました。

しかし、このような虚無感や孤独感からくる苦痛(スピリチュアル・ペイン)は常に傍に寄り添い、よき傾聴者として、彼の苦しみを聴き、それを理解するように努め、身体に擦ったり、撫でたり、温めることで、次第に彼の怒りは収まって来たと言います。

その結果、認知症になってから15年が経ったとき、なぜか多少ですが記憶力が回復してきて、機嫌も良くなったのです。

これは脳自体が変化しているのではないかと考察されまし
た。

脳には可塑性という性質があり神経回路が常に書き換えられるという事が最近の研究で分かって来たからです。

子供の脳のように高齢者の脳にも思ったより可塑性があるということです。

脳に損傷を受けても、他の部分の脳に失った機能のパターンを移して引き継げると言うのです。神経学者は、今でも彼から記憶について多くを学んでいます。

そして、認知症の可逆性に期待する研究は続いているのです。

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