心に残る今月の一冊

 

塩井 純一

「科学と生命と言語の秘密」松岡正剛X津田一郎著、文藝春秋、2023年刊

 

編集工学を掲げる松岡正剛と「カオス理論」を提唱する数理学者津田一郎の対談。「文系センスと理系思考の爆発」と名うっているのですが、二人が旧知の間柄ということもあり、対話が二人よがり的に弾みすぎ、読者が置いてけぼりにされているのではないかと危惧しました。分子生物学を専攻し、脳科学研究に携わってきた私でも、ついていけない感がありましたから。

本書のタイトルに惹かれて、購入したのですが、「科学の秘密」とは何を指しているのか意味不明。「生命と言語の秘密を科学する」の意でしょうか。編集工学者しっかりしろです。二番目の「生命の秘密」については、DNAの相補的二重螺旋構造に基づく複製機構と「DNA→RNA→たんぱく質」へと遺伝情報が伝搬され表現される「セントラルドグマ」で概ね解明されており、本書でも議論されている「生命の起源」の秘密も原始RNA起源説でほぼ説明が付きそうで(ただ太古の事なので厳密な証明はほぼ不可能)、津田の説く「カオス理論」或いは「複雑系理論」の必要性、有用性はないように思いました。知の巨人、「立花隆」流に分かり易く言えば、「生命は、分子レベルで、非常に精密にコントロールされた、分子マシーンが作り出したもの」と原理としては解決したと私は考えています。ただ生物進化の果てに、人間でのみ実現された高度な脳機能は未だ謎だらけなのです。三つ目の「言語の秘密」だけは脳機能との絡みで興味深く、「心」とか「意識」の脳機能にも議論が及んでいます。脳の複雑さを考えると、津田の「カオス理論」「複雑系理論」は斬新な視点を与えてくれる可能性を感じましたが、実際の脳の発生・分化過程を考えると、これら新理論もまだ揺籃期で力不足と考察しています。

 今や生成AIにより、ChatGPTが開発され、人間との知的なやり取りが可能になったことから、この生成AIChatGPTとの比較・類推で数千、或いは数万に及ぶ多様な自然言語の発生・由来を解明できるかもしれないという期待もあるのですが、「言語の接地問題」が壁でしょう。例えAIロボットに人間並みの多様な感覚システムを導入しても、無理でしょう。人間の脳内ネットワークを作っている素子の神経細胞は多様で、細胞毎の個性があり、しかも時間的にも変化(生成、成長、そして老化・減衰)していくのに対し,生成AI や汎用AIのネットワークを作っているコンピューター素子のICは物質レベルでは多様性はなく、単純で、固定的です。この人間脳のハードウエアの圧倒的な複雑さと不安定さが「言語」や「心」を生んでいると思われ、これらの謎の解明はまだまだと考察しています。

 

 

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